正しい歴史認識……という「言い回し」もまさに「戦後的言い回し」ではある。「正しい歴史認識」はいかにして行うのか。「教科書に〈正しい歴史認識〉を記述し、それを教師たちに学校で教えさせればよい」と戦後的空間を生きる平均的日本人は思う。「勉強馬鹿の時代」を象徴する、人々が安易に陥りがちな結論である。中国・韓国・北朝鮮という極東の勉強馬鹿(極東的近代学校教育システム礼讃者)が集う国々の統治者たちも、日本の平均的日本人と同じように「自国民の歴史教育」については「なおさらそう思って」いる。
「日本人は〈日帝時代〉に日本がやったことを私たちが習ってるようには学校で習うことがない」と韓国のテレビ番組でインタビューに答えたのはユンソナだが、これは以前、白人首脳の前で「日本人が主張するようなことは高校の教科書には書いていないんですよ」と答えて失笑を買ったノ・ムヒョンと同じメンタリティーである。(注:そもそも「日帝時代」という用語はなんぞや。日本の歴史教科書では使用しない用語である。ただし日本の左翼人たちは、昔から「日帝」という言葉を使っていたようである。「韓国の歴史用語は左翼用語から採られた」という「正しい歴史認識」も韓国の学者はちゃんと韓国の中学高校生に教えるべきである。)
この「思考態度の土台」に何があるのか。彼らは「典型的な勉強馬鹿」なのだ。教科書に沿って試験され、教科書通りに解答して満点をもらい、自尊心をくすぐられてうぬぼれる、それが利口な人々が繰り返し「近代学校システム」の内部でおこなってきた「パブロフの犬体験」である。「教科書は無謬の権威」「そのような教科書を作る学者もそれを使う教師もまた権威」なのである。だからこそ「学習成績の優秀な者、そしてその自尊心とともにひそかに自分を利口者だと自負している者たちの、この病気の罹患率が高かった」のだ。左翼運動の中心主体が大学教授や大学生だったのも当然である。「彼らもまた勉強馬鹿だった」からである。
日本において歴史教科書が政治活動の道具として認識され始めたのは80年代くらいからであろう。しかし、戦後70年代くらいまでは、左翼人は子どもをオルグするのに「教科書」を特に用いてはこなかったということを現代日本人はちゃんと認識しているだろうか。
学者・学生・労働者を中心に「左翼にあらずんば人にあらず」という巨大な「正義妄想」が吹き荒れ、世情に本当の暗雲が垂れ込めていたのは、60年代70年代までであって、その頃の日本の政治上の騒乱といったら、今の世の中のような「蚊にさされたような事件」を「大げさにふれてまわるようなもの」ではなかった。
そんな「左翼にあらずんば人にあらず」時代があったにもかかわらず、当時の少年少女の精神世界はそれとは隔離(政治闘争劇に巻き込まれることから守られること)されていた。少年たちは漫画雑誌で戦争ものを読んで胸を踊らせていたし、あこがれの零戦や戦艦のプラモデルを作るのは当時の少年たちの「日常の一コマ」だった。けれども、「勉強馬鹿」を中心に「活字を通して世界像を描く」という振る舞いが得意だった人々がまさに「その勉学的振る舞い」によって、「日本たたき思想案出の急先鋒」になったのだった。「現在の日本たたき思想は、過去のある時期に日本人が極東地域に住む人々に教えた」……と私がいくら声を大にして訴えても、評判が悪いようである。「元祖」というものを自慢したがる日本人・韓国人も中学校や高校の教科書にそう書くべきである。「現在の反日思想もまた日帝支配下の日本人地下運動家たちからもたらされた。われわれは植民地時代から続くイルボンからもたらされた公教育システム(あるいは教員システム)を受け継ぎ、さらにイルボンから反日思想----政治的ごね方----まで習った」と。
中国共産党は初め「労働」の「働」の文字を持っていなかった。これは日本人が作った字で、中共側が日本の左翼本を研究して「よい字がある」と輸入した結果である。周恩来は中国で共産党に目覚めたのではなく、留学生として滞在していたここ日本で共産主義思想に出会って衝撃を受け、ついにそれまでの考えを捨てて留学生をやめ、大陸に戻り、共産党員として活動するようになったというエピソードをご存じの方がどれくらいいらっしゃるだろうか。周恩来の精神に衝撃を与え彼を共産主義者に変えたのは、日本の活動家たちだったのである。戦前から続く日本の左翼人たちの極東地域における隠然たる影響力----事象の裏側を大向こうに気づかれずに上手に駆け抜ける技術----を甘く見てはいけないということである。
「いまでも日本人が巨大なマスコミの力を利用してわれわれ民族の援護射撃、それどころか〈新手の政治的ごねくり〉の提案までしてくれるので、われわれはそれに乗っかるだけでいい」と大陸・半島人は思う。日本人は「騒がれるのに弱い」ので、オオニシとか米国記者の権威を借りておどしをかければ、またへし折れるよ、と知恵を貸すのもまた日本人だった。(とはいえ大きな見取り図から言えば、結局彼らのやっていることは、世界政治への影響力から言えば、まあ、「蚊のようなもの」ではある。蚊から血を吸われて「きゃー死ぬ、死ぬ」なんて情けない声を出さないでいただきたい。時が来たら呼吸を見計らって両手のひらの間で、パンとおしつぶしゃあいいのだから。裏に回って人の足を引っぱる能力は、古代の豪族社会の昔から日本人のもうひとつの伝統的才能であった。しかしそれを「正しい歴史認識」と言って人前で自慢する策士はいない。これはいわば秘伝の術なのだから。)
戦後すぐに「国民の左翼思想へのオルグ運動」を大声を出さずに「学校現場」で実践してきたのは、マルクス思想、マルクス的世界観、マルクス的陰謀論に魅了された人々だった。マルクス思想は、戦後治安維持法廃止によって解禁状態になり、「大学の正式の講義科目」にさえなった。戦前のサブカル思想は、「戦後体制の中で正式のカルチャー世界に格上げされた」のである。朝鮮半島は軍事政権になったので相変わらずサブカルのままだったが、その思考方法は浸透し続けたのである。そして80年代に軍事政権から民主化へと韓国は至るが、それは「韓国教育界のおおぴらな左翼思想(帝国主義理論)化」ということでもあった。戦後の日本が、「共産主義者解禁」による「日本のおおぴらな左翼化」をなし遂げたように、韓国はいつも日本のあとを数十年後れながら「思想遍歴」を繰り返している。
参考に供するために『Will』5月号(平成19年)に掲載された西岡力氏の発言の冒頭部を引用しておく。
歴史教科書が現在大声を出している人たちの理想とするものに変わっても、「教師の精神」が変化しなければ、相変わらず、左翼教師たちは、「教科書に載っていないアジテーション」を繰り返すであろう。実は、教科書に書いていることではなく、この「教師のアジテーション」「物語めかして道徳的追及を繰り返す教師の情念」こそが一番力を振るってきたのだということを、教科書改革運動家たちはちゃんと把握しているだろうか。そうでないなら、勉強馬鹿的な態度で、「システム(教科書の記述内容)」を変えれば「おのずと正常な体制ができあがる」という「社会主義者たちと同様の唯物論的理屈」に落ち着くことになる。まさに、左右はそのような「社会理論(唯物論)」をめぐって政治闘争をしている最中である。その余波をかって隣の中国や韓国・北朝鮮の政治勢力を巻き込みながら……。
教師として子どもの前に立っている「生きた人間」が子どもの前で「どんな精神を持っているのか」ということの方がずっと重大な問題なのである。左翼的情念に燃えている教師たちの情念が変容を遂げない限り、彼らは「新しい教科書」という目の前におかれたハードルを大股でぽんぽん飛び越えていきながら、「情念に満ちた目的地」へ子どもをいざなうだろう。「教科書などというハードル」なんぞは簡単に飛び越せるのである。授業自体を彼らがコントロールし続ける限り。
教科書ではなく、教師を変えなければならない。
これがもっとも効果的な解決策である。それにも大前提がある。「この1世紀来の教育システムに〈機械的に適応する〉こともって教育だと思い込んできた統治担当者や知識人を含め一般の日本人の深まらない教育概念」そして「教員養成と採用システム」の「大変革」をこそ行うべきなのであって、「今の子どもは勉強しない、どうのこうの、うんぬん」の話ではない。
エロ教師の横行を呼び寄せたのも、「一面的な学力のみ」で「人を採用する」という「楽な選別システム」(会社に就職するのにまでペーパーテストを課すという欧米の就職慣行にはない「思考態度」もまた「戦後日本的」である)、「採用者側の人間識別力の力量」がたいしてものを言う必要がない「〈戦後日本的〉な安易な工業的人選システム」がその元凶なのだということを今後は本気で考えようではないか。
君らには見えないか。大きな体をして、小さいことに心配し、あげくの果てに煩悶しているものが、世の中にはずいぶん多いではないか。だめだよ。彼らには、とても天下の大事はできない。
つまり物事をあまり大きく見るからいけないのだ。
物事を自分の思慮のうちに、たたみこむことができないから、あのとおり心配した果てが煩悶となって、寿命も何も縮めてしまうのだ。全体自分が物事をのみこまなければならないのに、かえって物事の方からのまれてしまうからしかたがない。これもやはり余裕がないからのことさ。(勝海舟 氷川清話)
拉致では横田夫妻はアメリカの「共和党」に助力を求め、今この時期に慰安婦問題を利用して日本たたきを画策する勢力は民主党に助力を求めて互いに綱引きを行っている、ってだけのことでしょう。日本、韓国の双方の勢力にとって、
アメリカは〈利用価値〉がある
と思っているからこそ、横田夫妻は渡米し「共和党」と面会し、韓国系のロビーイストは民主党員と面会したわけですよ。裏で攪乱戦略を指揮しているのは例によって北朝鮮シンパ組ですよ。これには韓国人も日本人も中国人も加わってますよ。朴正煕を韓国人を使って暗殺させたようにこずるい連中ですよ。今回は日系アメリカ人を使って日本を攻撃させるところがまさに仕掛けですね。こういうことを行っている勢力を「ある民族・国民」と思うと間違いますよ。今になってトルコの話が出てきたのも、まさに攪乱戦術ですね。「これら厄介者たち」の本質は、正確には「民族共同体を越えた思想集団」なんですから(したがって「民族感情は利用すべきもの」にすぎません、彼らにとっては)、何かっちあ「アメリカの陰謀」とか「アメリカの傲慢」とか言って溜飲を下げたがる人はそろそろ目を覚ましてください。「現実世界」はもはや「そんな時代」じゃないんですよ。「今回のような話」は、もうすでにずっと前から「ここ日本においても」おなじことが起きてるじゃないですか。この問題の本質は「延長戦」です。日本では横田夫妻は自民党に頼り、在日勢力は(韓国系北朝鮮系問わず)社民党、共産党あるいは日本の民主党の一部とそのシンパの新聞およびテレビ報道系マスコミ勢力に対してロビー活動を行う。現在「場所を変えて戦っている」だけですよ。「この問題」について、最初に火の手が上がったのはここ「日本」なのであり、それが半島に飛び火し、政府は「手打ち式」になるはずだった談話を出したが、相手はその約束を守らず、いまや太平洋を渡って北米で「精神戦」を行ってるだけの話。
アメリカは「日本VS韓国+北朝鮮」の精神戦の舞台になっているだけであって、けっして「戦いの当事者」なんぞじゃないんですよ。お互い敵同士(日本VS韓国+北朝鮮)で双方が「他人」(米国)を利用し合っておきながら、「裏切られた」なんぞ言うな、と言いたいですよ。
日本は横田夫妻のアメリカ政府(共和党)への働きかけやドキュメンタリー映画製作などの活動を通して「北朝鮮非難決議」の採択を成功させた。日本側がアメリカ(共和党)にねじ込んだ結果です。世界は一丸になって北朝鮮に対する拉致非難を行ったばかりのところでした。そんな目にあっても、北朝鮮は「かえるのつらにションベン」状態でしたがね。それに対抗する「日本非難決議」を今が非常によいチャンスだと思って民主党に動いてもらうことで、これにぶつけてバランス効果としようと、相殺効果をねらっている人々がいるんですよ。民主党は対北朝鮮融和推進派で、彼らの主張していることはちょうど日本の左翼勢力が盛んに吹聴していることと実はパラレルなんですから友とするにいいパートナーでしょうよ。帝国主義理論(それはもともと左翼の論理ですが)で世界の動きを解釈し、アメリカの活動を解釈し続ける限り、どれほど「日本愛」を叫ぼうが、彼らマルクス由来の世界観の信奉者たちの思うつぼですよ。「世界の統治実態をどうみるか」ということに関しては右翼の世界観も左翼の世界観と同じですから。つまりマルクス由来の世界観ですよ。現在の日本の右翼人には自覚がないようですが。
まあ
「日本の右は左と同じ〈帝国主義論(マルクス史観)の信奉者たち〉あるいはそれに由来する感情を是として反省しない人々だ」
ってのは、私のかねてよりの持論ですがね(過去のエントリー参照のこと)。
http://matcha.blog.shinobi.jp/Entry/20/
自称「反米保守」の、かつ「社民主義者」という「奇妙な存在(実質社会主義者)」も皆、〈純正左翼〉と〈同じ思考枠〉あるいは〈感情線〉に沿って思考する〈思考のるつぼの仲間〉なんですよ。総称「保守陣営」への、元左翼運動(あるいは感情)体験者からの流入組の数を、彼らが「親米保守」といって罵倒している人々の「若い頃の活動歴」と比べてみてください。「元左翼」あるいは「元左翼シンパ」だった人々を抱え込んでいるのは圧倒的に「現在」の自称「反米保守」派の方なんですよ。学生時代「反米愛国」の旗を振って騒乱を起こし、結果彼らの親をハラハラさせていた連中が、「歳食って」、外見(そとみ)には、左から右に移って「反米愛国」と叫んでるように見える。だが、ほんとうは、
「彼らは〈社会主義〉を、あるいは〈そこから生まれる反逆的な世界感情〉に耽溺したがる傾向(自己愛)を捨てていない」
これこそが、「彼ら反米保守派の真実の姿」ですよ。
彼らの「自己韜晦ぐせ」は直りそうにもない、純正左翼人の「自己韜晦ぐせ」が直りそうにないように。
右=左。
現代人が近代の政治思想を扱うとき、いまだに正されていない問題がある。それは「右翼」「左翼」(あるいは「保守」「革新」)という呼称の扱い方についてである。左翼思想とは、一般的解釈では、共産主義あるいは社会主義という「経済体制」を理想とする人々の奉じる思想群のことである。
ところがたとえば、ナチスという政党である。ナチスの正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党」(現在の東京書籍版の中学の歴史教科書には「国民社会主義ドイツ労働者党」と書いている)、つまり「社会主義」なのである。だが現在でも、世間はヨーロッパに「ナチスの亡霊」が現れると、それを右翼と呼ぶ。「自民族至上主義者」を右翼と呼び、「共産(社会)主義者」を左翼と呼ぶ。ソ連の建国の思想は、今となってみれば、現在、わずかばかりになった共産(社会)主義国家とは異質な理念が、全体を束ねるシツケ糸になっていた。すなわちソ連は「民族の紐帯」ではなく、全世界の労働者の団結を叫んで、世界革命思想の輸出に邁進したのだった。しかし、アジアには欧米列強の植民地から脱するという「特別条件」が労働者問題以前の問題として存在していたのである。
「右翼」とは「極端な自民族優先主義者」のことである。この感情は「経済思想に関係がない」。ベトナムはベトナム民族の独立戦争の支柱として共産主義の理念を用いた。だから民族主義者(右翼感情)がマルクス主義(左翼思想)を奉じてフランスからの独立を達成したのである。現在の中国も北朝鮮も同じである。右翼(感情)が左翼(経済思想)を選んで今日の全体主義的国家を建設したのである。
第二次世界大戦後に植民地支配から脱した国家群の大部分が、実は「社会主義思想を用いて独立の理念の代用品とした」という事実は、いまだ教科書にも書かれていない重大な事実である。多くの発展途上国が独立と近代化の過程で社会資本や生産手段の国有化、すなわち社会主義へと走ったのである。新しい独立政府にとって、国有化は、「自民族の独立と利益の優先化を国民に広く示すための示威行為」となった。だが現実の経済活動の成果としては、その試みはうまく行かなかったのである。依然として国は貧しいままだった。そして、そのようなアジアの発展途上国家群の試みの惨憺たる結果が、たとえば現在のアジア地域に「不安定の弧」が存在する発端のひとつになったのだということも、人々にちゃんと認識されているとは言えない。(外相の麻生太郎さんは「この問題」に気がついて発言をしている日本では数少ない政治家のひとりではないかと私は思っている。)
南米やアフリカの発展途上国群もまた、アジアと同じ過ちをおかして今日に至っている。発展途上国家群は国名という看板におおぴらに「社会主義国」と掲げていなかっただけで、先進国地域に住んでいる人々が思っている以上に、実は「世界は(特にたくさんの発展途上国群が)社会主義化した」のである。21世紀の発展途上国に生きる人々は、今その過去の「選択」の反省の発端に立っているところである。(写真は「インターネット・ブラックホール」、国民のインターネット利用が制限されている地域としてネットに載った図である。「不安定の弧」と一致しているのが分かるだろう。)
日本の左翼(共産党や社会党など)はソ連製の思想によって活動を行った。ソ連は「民族主義的社会主義思想」ではなく「脱民族主義的社会主義思想」の輸出国だった。だからこそ日本の左翼は国内において「民族の伝統破壊活動」を熱心にやってきたのである。そしてそれに対して喧嘩をしかけてきたのが「民族の伝統再構築活動」を熱心に行う社会主義者たちであった。
アジアの大部分は、前時代の遺制のなごりや風習を濃厚に保ちながら、そもそも資本主義の発展にともなう「光と影」などというもの自体を経験することもなく(すなわち「ある種の新種の精神体験を経ずに)、西洋の植民地主義をまず克服しなければならない状況にあったが、日本にはすでに自前の資本家が多数育っており、劣悪環境で働く労働者も存在したがゆえに、ソ連製の思想を受け入れる素地がちゃんと存在していた。、だからこそヨーロッパ人がそうであったように、これほど絶大なる影響力を「日本人の精神生活」に行使してこれたのである。
しかし、天皇を崇拝し、大臣にテロをしかけた日本の海軍や陸軍の青年将校たちが、奉じていた経済思想はなんだっただろうか。彼らもまた「社会主義者」だったのである。
民族主義者であれ、脱民族主義者であれ、社会主義者の奉ずる思想の行き着く先は「国家至上主義による、歴史的国家の換骨奪胎、すなわち国家の全体主義化」であった。
だから、21世紀は民族主義者と社会主義思想が結びつくことに眼を光らせておかなければならない。誰かが自分のことを人前で「右翼」と呼ぼうが「左翼」と呼ぼうが、あるいは「保守」と呼ぼうが「革新」と呼ぼうが気をつけることである。それはすでにナチスとソ連の喧嘩(つまり社会主義者同士の喧嘩)のように歴史的に前例があるからである。現在世の中には「民族主義者系左翼」と「脱民族主義者系左翼」の二種類がいて、現在日本において、より巧妙に国民をだましているのは「民族主義者系左翼」の方である。
「どんな人物か知りたかったら経済思想を語ってもらえ」---- 「日本民族のために」だとか「日本民族が大好きだ」とかなんだとか言うような「大声の前振り」は「実は何一つ判断の材料にはなら ない」ということを(なぜならそのような「愛着感情」はわれわれにとって「あまりにも当然の感情」なのだから)、そろそろ彼ら「隠れ左翼たち」に思い知らせてやる時期が来ようとしているのだから。
渡部昇一氏の本から参考文献を引用しておきますので、どうぞ目を通してみてください。
近衛文麿の貴重な証言
ハイエクが昭和19年ごろに書いた『隷従への道』に始まり、晩年の講演に至るまで、繰り返し主張したことは、全体主義は右も左も要するに同じだということであった。ハイエクは元来、オーストリアで教えておられたが、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)に招聘され、そこの教壇に立たれた。第二次大戦中、あるいはその直前、随分沢山の学者がドイツからLSEなどに来ていたようである。ナチスから追われてきたということで、当時ナチスと対立していたイギリスの学界は、この人たちを大いに歓迎した。
しかし、ハイエク先生から見ると、ヒトラーから追われてきたという人たちは、ヒトラーと同じことを言った人たちと映って いたのである。それはどういうことかといえば、ヒトラーもいわゆる国家社会主義者(ナツィオナール・ゾツィアリスムス) であり、またヒトラーが喧嘩して叩き出した共産主義はインターナショナル・ソシアリズムであって、両方とも社会主義であった。
つまり両方ともに、社会主義という同じメニューで、同じお客様を争っていたわけである。例えて言えば、一和会と山口組が喧嘩しても、山口組と我々が喧嘩することはない。なぜなら、お客様が違うからである。ヒトラーが共産主義とあれだけ激しく戦ったということは、それはとりもなおさず同じお客様を取り合っていたからである……。平たく言えばそのようなことにハイエク先生は気付いた。それで、ヒトラーから追われてきただけでそういう人たちを歓迎するのは、 結局ヒトラーの学説を入れることと同じであるという趣旨のことを、繰り返して述べておられる。
この右も左も社会主義というものは、同じ全体主義(トータリタリアニズム)であるという認識は、日本の学界では戦後は絶対にタブーであった。恐らく、気付こうともしなかったのではないか。ただ私は体験的に戦争中の統制経済ということを知り、家業が廃止されたという体験から、どうも同じらしいと感じていた。ハイエクの意見を聞いたときは、自分の少年時代の素朴な体験が碩学によって裏づけられたような気がしたものである。戦後の日本の社会主義、あるいは共産主義を称賛する人に、「あなた方の言っていることは戦争中の新官僚たちが言っていたことと同じなんだよ」と言ったら、それこそ湯気を立てて怒るであろう。しかし、それは事実なのである。
戦前の新官僚と言われる人たちが目指したことも、やはりヒトラーが目指したことと同じであった。ヒトラーは政権を取るや、すぐに授権法というものを通した。授権法というのは、議会の協賛を得ずに法律を通してもいいという権限を議会からもらうことである。それと同じようなことを、日本の高級官僚もどんどんやり始めていた。それで議会が邪魔にな り、政党も邪魔になるからと、政党まで解散してもらった。小学校を国民学校にすることも、統制経済というのもヒトラーの真似であった。以前、社会主義者として弾圧された人たちも、戦争が始まったころの政府から、喜んで迎えられ た。なぜかといえば、それは社会主義者だったからである。
このことについて、ハイエクはロンドンで昭和19年ごろに気がついて本を書きつつあった。日本では近衛文麿が最晩年に気がつき、昭和20年の2月、硫黄島の戦いのころに、いわゆる近衛上奏文というものを天皇に捧呈している。そ の中でこういう趣旨のことを言っている。
「元来、左と右は違うものだと自分は思っていた。ところが、その後ずっと見ていると、右翼と言ってもよし、左翼といってもよし、全く同じであることに気がついた。これは当然、私がもっと早く気がつくべきところ、まことに申し訳ない」
こう言って、天皇にお詫びを言っている。近衛さんは左翼と右翼は別だと思っていた。ところが、同じものだったことに、段々気がついてくる。当時の青年将校たち、あるいは新官僚たちが目指したことは、天皇というものだけで、あとは共産主義に限りなく近い政権、国家を作ろうということであった。左翼も右翼も同じという近衛さんの上奏文は、ハイエクを体験的に裏づけた貴重な証言なのである。『逆説の時代』(P94-P97)
渡部氏の引用文も含めて、以上のような観点から、現在「保守」を掲げて政府、大学、マスコミ、ネット等で言論活動している人物(大学教授や作家なども含めて)を観察の対象にしてみるとよい。
日本の右翼(民族主義者)は左翼なのであるから。そして現在海の向こう側にいる政治集団を裏返せば、北朝鮮や中国の主流派(つまり左翼)は右翼(民族主義者)ということになる。まことに合わせ鏡に映る像のように、右翼は左翼、左翼は右翼なのであった。
今月11月号の『諸君』における西尾幹二や佐伯啓思の発言により、私のかねてよりの「暗示」----彼らは現在にいたるまでずっと「その事実」を隠し続けて来たが、「日本の伝統保守を掲げる自称保守派の大部分」が漠然とよりかかっている経済思想が、実はただの旧来の社会主義思想にすぎないという事実----が、とうとうはっきりと人々の目に見えるものとなって「析出化」した。どうか「漠然とよりかかっている」という表現を重視していただきたい。彼らの経済感覚は、左翼人によって戦後大喧伝されてきた陰謀論に一喜一憂する左傾化した一般読書界の経済感情と大差がないのであるから----彼らは対談の末尾で「もっと左翼リベラルにがんばってもらいたい」などと檄を飛ばしている。
佐伯啓思も偽装保守にすぎないただの社会主義者である。そうであればこそ、彼らのいままでの激烈なアメリカ批判も納得できるのである。それは----つまり「おのれが捧持する経済思想」によって社会主義者的立場からアメリカの経済体制を批判するというのは----もともと「左翼人のオハコであった」のだから。彼らは、自分のよって立つ経済思想の旗幟を鮮明にすることなく、それ(アメリカたたき)を、おのれの感情生活に内在している社会主義思想の影を世間の人々に悟られないようにと隠しながらやってきたにすぎない卑怯者たちである。
だから彼らは、「本来の左翼人」よりももっと卑怯な人々である。本来の社会主義者はアメリカをたたくとき、自分の経済思想の立場を隠さない。いやそういう思想に依っているがゆえにアメリカをたたくことをはっきりさせてきたではないか。だが日本の自称保守派は、「保守」は「思想」ではなく、「生活」である、と言う。だが、それはごまかしにすぎない。彼らには「自前で明確に語ることのできる理念がひとつもない」「実は何ひとつ自前の思想を人々の前に用意できない」という現実を、そのような言い方でごまかしてきたにすぎない。にもかかわらず、彼らは「理念を提示できない思想家」として、いままで一定の人々から敬意の念を向けられてきた。彼らはこれからも何ひとつ、現代の混迷状況を改善へと導きうる「彼ら独自の理念」を披瀝することはできないだろう。彼らのやってきたことは民主主義批判にしろ自由平等批判にしろ、昔ヨーロッパの知識人たちがやってきたことの「日本への輸入」でしかないのだから。彼らは実際には「ヨーロッパ思想の輸入代理人」でしかない。そういう振る舞いをすることを明治の良識派はかつて、「西洋かぶれ」と批判してきたのではなかったのか。西洋かぶれが西洋かぶれを批判するとは、なんという喜劇だ。だが彼らには「自分たちが喜劇を演じている」という自覚がない。彼らは「自称伝統主義者」なのだから。
彼らの振る舞いは、ちょうどヨーロッパの社会主義者たちが、戦前戦後を通じて、激烈なアメリカ批判をしつづけてきたこととパラレルな関係になっているにすぎない。ヨーロッパにもいまなお卑怯な社会主義者がたくさんいるからである。
以下はビル・エモットが『20世紀の教訓から21世紀が見えてくる』のなかで「両大戦間の一国資本主義の破綻」と小見出しをつけてまとめている箇所の抜粋である。
----ナショナリズムと干渉の習慣、あるいは国益を守ろうとする習慣は国民性に深く染みこんでいるものだ。そのために20世紀のヨーロッパは当然ながら、ナショナリズムの危機と、それとともに生じる醜い人種差別の歴史として見られている。
20世紀および、その中で誕生したEUの起源は、ナショナリズムと戦争防止について、まったく異なる筋書きを物語ってもいる。そこで語られているのは「近隣窮乏化政策」、あるいは「世界を止めろ、俺は降りたいんだ」式の経済ナショナリズムの惨憺たる結果である。それが、EUの歴史で銘記しておくべき第二の側面だ。スターリンの「一国社会主義」は大失敗に終わった。だが、1914年から50年にかけて西欧諸国で試みられた一国資本主義も同じくらい無惨な結果に終わっている。-----
ここで、一度小さな解説を挿入しておきたい。経済領域は今や一国単位の「国内経済」から世界で一単位としての「世界経済」へと変貌した。経済は一個の人体へと変貌しているのに、個々の臓器(国家)に住む細胞(国民)のいくつかは、いまだに自分は臓器のみに属し、この臓器さえ守ればいいんだと錯覚している。だから、いきおいこんな発言が飛び出してくる。「今、おれたちの隣の腎臓がぶっこわれたら、漁夫の利を得るのは心臓だ。あいつはまたおれたちの大事な血液を独り占めしようとしている。それを許していいのか」・・・・・。血液が一箇所にたまって再び他の人体領域に送り出されなくなったら、人体全体が滅ぶ。「ある臓器が血液を独り占めにして充血状態になりたがっている。そのうち人体の血液はやつに全部独り占めされてオレたちの手元から消えてしまうぞ」と彼らはなぜいつも思い込んでいるのだろうか。個々の臓器に住む細胞の中には、相変わらず奇妙な妄想に耽っている者がいる。
引用を続ける。
----1914年以前から、ヨーロッパの国々はすでに保護貿易主義の色彩を強めており、フランスとドイツでは輸入品に高い関税を課していた。だが、1920年代と30年代になると、経済ナショナリズムはいっそう高まった。1918年以降、それを引き起こした直接の原因の一つは、新しい国が誕生----オーストリア-ハンガリー帝国が解体して三カ国になり、ロシアの国境地方から五カ国が新たに独立----し、それらの国々が新たな関税と新たな輸入割当と特別徴収税を導入して、他の国と、離脱したばかりの旧統合市場から自国を守ろうとしたことだ。別の原因として、ソビエト連邦の建国によって貿易に「思想上の障壁」が生じたこともあげられる。そればかりか、フランス、ドイツ、イギリスもまた自国に障壁を築いていた。
ヨーロッパの内部で膨れ上がった憎しみも、1918年のあとの負債と賠償から起こった金融不安とともに、こ うした措置をとらせるきっかけをつくった。また第1次世界大戦以後には、「自給自足が戦争に勝つためだけでなく生き残るためにも必要だ」という考えが生まれ、なかでも鉄鉱石や食糧などの基本的な資源を所 有し加工することが重視され、その後押しをした。しかし、外の世界もそれに一役買っていた。アメリカは1921年と22年に関税を引き上げ、ヨーロッパが戦費と再建費用の負債を返済するために物資を輸出する のを困難にした。1924年には議会が東欧と南欧およびアジアからの難民を締めだし、それによって長年 ヨーロッパの安全弁だったものが奪われた。よくあることだが、ヨーロッパでは中南米、カナダ、日本、オーストラリアのような低賃金の競争相手が新たに台頭してくることへの懸念が高まった。さらに止めを刺すよ うに、1930年にアメリカの平均関税がスムート・ホーリー関税法で59パーセントに引き上げられた。その結果、世界貿易は壊滅的なほど落ちこみ、大恐慌が激化した。
ヨーロッパ諸国はそれに応じてさまざまなかたちで孤立していった。イギリスとフランスとオランダはそれぞれの帝国内に引きこもり、関税を引き上げて帝国内部における貿易を優先し、戦時債は相互間のものもアメリカのものも債務不履行となった。ファシスト政権のイタリアは協調組合主義に路線を変更し、政府と手組んだ国営企業を優遇した。ナチス・ドイツは1930年代の不況によって最も大きな打撃を受け、兵器の製造に手を染め物々交換が行われた。
1914年から40年まで経済的ナショナリズムがつづいた結果、1957年に共同市場を制定するためのローマ条約がフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクによって調印されるころには、ヨーロッパの経済地図は奇妙なものになっていた。それはおよそ自然が描きそうににない地図だった。-----
『反米妄想』のジャン=フランソワ・ルヴェルは著書の中で 「過去に犯した危険な過ちを、再び繰り返してはならない。平価切り下げ、関税障壁の増大、為替管理などは、政府が経済活動を国境内に止めようとし、無駄に終わった例である。これらの政策が、景気停滞と戦争をひき起こした」 とルーズベルトの財務長官モーゲンソーの1944年の発言に言及している。
世界には190ほどの国家があるが、経済としての単位は「ひとつ」である。それが見えないまま議論を続けるなら、その人は「陰謀論を吹聴する方が気持ちがいい」ということになるだろう。そして、「そのように世界を眺める自分に安堵するだけ」であろう。そこでまた一発威勢のいい反米妄想をぶちかませるというものである。彼らはいったいいつまで「現実を見ずに、古い戦前からの思考サーキットをぐるぐるとまわり続ける」つもりだろうか。世界の前進を阻んでいるのは、実は彼らが見ている「外部」ばかりではないのであるが・・・・・。
ちなみにお前は親米派であろうと規定したがる人々に言いたい。私は社会生活のなかで、「この人は好き。この人は嫌い。だから私はこっちにつく、いや、あっちにつく」というような感情で仕事をしてきたことは一度もない。そのような子供じみた感情を持って仕事をする人々はいるかもしれない。あなたは普段どんな感情を持って他社と販売競争をし、苦手な同僚・上司・部下とプロジェクトを組んで働いているのだろうか。あなたも社会人なら「どういうタイプ」あるいは「どういう年齢層の人々」が特に「自分の感情を一番として自分の判断基準と行動原理としているか」思い出してもらいたい。「中学・高校の女子生徒集団の行動原理」などを思い出していただけると大変参考になるかと思われる。
右にいることを自称している人々のなかには「いや、感情ではない。思想としての反米だ」などと自己韜晦する者もいる。それは韜晦にすぎないのである。「思想としての反米主義者」なら共産主義者という正統派の人々がちゃんといる。戦後50年以上、彼らはそうやって旗幟を鮮明にして反米活動をやってきた。ならば、自称保守派は、隠れ共産主義者・社会主義者なのか。ある意味そうだ。彼らは経済理念(あるいは、そういう言葉があるとすれば経済情念)において国民が一番聞きたいことを最後まで国民から隠し通すつもりだ。そういう「ズルさ」をもって本気で国民にアピールできると思っているのだろうか。今後、さらに底が割れれば、彼らはますます国民から見放されていくしかない。
自分のことを振り返って、「確かに女子中学生集団の勢力争いっぽくて恥ずかしいところがある」と感じるところがあるならば、今までの思考習慣を変えて、あらたに思考を組み直すべきである。しかし「どうしても妄想を振り切ることができない」ならば、私はこれ以上言う気もない。それにそのような感情をあなたが密かに心に抱いていたとしても大勢に影響を与えることはないのだから。それはたとえばあなたがプロ野球でアンチ巨人軍だとしても、現実の勝敗に何の影響力もないのと同じである(個人的には私は阪神の方が好きだが)。
一方で世界は道化役も必要としている。人前でアメリカのことを「キライダ、キライダ、キライダ」とアニマル浜口のように叫んでみるのもいいだろう。だが、本人は真剣なつもりでも、何ごとも限度を越えるとそれは笑いに転化してしまう。それはちょうど、韓国の反日運動家のエキセントリックなデモンストレーションが、どこか日本のお笑い芸人の芸と同じような「笑いのにおい」を発散していると言って、日本の若い人々に笑いの対象にされるようになっている昨今と、それは同じ憂き目をたどることになるのだ。どだい、そのような平衡感を感じ取るセンスがない政治集団は大衆の反撃にあって力を失っていくしかないのである。21世紀の始まりは、すでに精神の面でも、そんな時代に突入しているのだから。