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操練会議

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世界問題における精神生活の忘却 ルドルフ・シュタイナー

ベトマン=ホルヴェークの遺著『世界大戦の考察』が近く刊行されるが、その中に次のような一節があるそうである。「ヨーロッパの混乱と共に、今、われわれの敵たちが世界に約束した、自由と正義の時代が始まる」。ヨーロッパの公的生活にその地位によって大きな影響力をもちえたベトマン=ホルヴェークのような人物をこの一節に見られる方向の考え方へ導くためには、世界大戦が必要だったのである。しかし彼はこの文章を書いたとき、すでに権力の座から退いていた。

ヨーロッパにおける民衆の生活状況は世界大戦によって生じたのではない。それ以前からそのような状況は存在しており、そしてそのことが大戦の原因となったのである。その生活状況は、今大戦を通してはっきり表面に現れてきた。

公的生活の指導者たちは民衆の生活の中に存在する諸力を見ようとしなかった故に、恐るべき破局を回避することができなかった。彼らは外的な権力関係だけに標準を合わせてきた。だが現実の生活は民衆の魂の在り様の中に根を下ろしていた。

混乱の中にひとつの明かりを点じるためには「民族の魂の在り方を理解せずに、公的要件を健全な方向へ向けることができない」という洞察をもつようにならなければならない。

ワシントン会議を考える人の眼は、今、極東の日本へ向けられている。しかしここでもその眼は外的な権力手段に呪縛されている。支那とシベリアにおける西洋の経済的利害関係を十分満足できるようなものにするためには、日本にどう対処したらいいのか、と人びとは問う。

もちろん人びとはそのことを問わねばならない。なぜなら、この経済的利害関係は存在しており、そして西洋の生活はそれが満足させられなければ、先へは行けないのだから。しかし人びとは、今日考えている手段によってのみ、この利害関係が何らかの軌道に導かれる、と思い込んでいる。本当は何が生じなければならないのか。

日本は現在、或る関係においてアジア的生活のもっとも前衛的立場に立っている。日本はもっとも外的にヨーロッパ形式を取り入れた。だから人びとは同盟、条約その他によって、政治的に西洋の慣例に従ったやり方で日本に対処できている。しかし民族魂の特質に関しては、日本は今でもアジア的生活全体に結びついているのである。

実際、アジアは古い精神生活の遺産をもっており、日本にとってはそれに優るものはない。この精神生活は、日本を満足させることのできないような状況が西洋によって作り出されたときには、強力な焔となって燃え上がるであろう。しかし西洋の人びとは単なる経済的な手段によってこの状況に秩序を与えることができると信じている。人びとはこのことによって、此度のヨーロッパ戦争よりも、もっと恐るべき破局のための出発点を作っているのである。

今日、世界全体にまで広がった公的用件を精神的衝動の介入なしに遂行することは許されないであろう。アジアの諸民族は、西洋が彼らに一般人間的な性格をもった諸理念をもたらすことができるなら、西洋に対して物わかりのいい対応をするであろう。彼らは、人間が世界全体との関連のなかで存在していること、人生はこの世界関連にふさわしく社会的に整えられねばならないことを理解するであろう。東洋の古い伝統の中にありながら、今、彼らが暗い感情に促されて革新を求めて努力している事柄について、西洋が何か新しいことを与えてくれそうだ、と東洋の人びとが思うとき、西洋人と東洋人とは理解ある協力体制を作り上げるであろう。しかし人びとがそのような東西協力による公的な働きを非実際的な人間の空想にすぎないと考えるならば、たとえワシントンにおいて、軍縮が世界平和にとってどんなにすばらしいことかと話し合ったとしても、最後には東洋が西洋に対して戦争をしかけてくるであろう。

西洋は自分の経済目標を達成するために、世界の安定を求めている。東洋は、西洋が精神的に価値あるものを東洋に提供すると信じたときにのみ、その経済目標に同調するであろう。今日の大きな世界問題の秩序は、精神生活と経済生活とを正しい関係に置くことができるかどうかにかかっている。

われわれが社会有機体の中での精神生活を本来の自由な基礎の上に置かない限り、このことは可能にならないであろう。西洋は精神的発展を続ける可能性を持っている。西洋は自然科学的、技術的な思考方法によって、これまでに蓄積した財宝の中から精神にふさわしい世界観を取り出すことができる。しかしこれまではこの財宝の中から、機械的=唯物的な見方しか取り出してこなかった。公的な思考は公的社会生活の中で精神的なものを経済的なものに組み入れた。西洋の素質に内的に強く組み込まれている精神の自由な発展は、精神生活の管理が社会生活の別の要因である政治や経済と結びついてしまった故に、妨げられている。高次の魂に関心を寄せるひとりひとりの人間は、東洋からその古い遺産を受け取り、それを外的な仕方で西洋の精神生活に接ぎたそうとしている。「東方からの光」はそのような前提の下では西洋にとっての貧困の証拠であるだけはない。それは恐るべき告発なのである。それは西洋が陰惨な利害関係によって、自分の光を見ようとしていない事実に対する告発なのである。

西洋における精神的価値を高揚させることこそ、人類が今日の混乱を克服して、何もできずに混乱の中でさまよい続ける状態から脱却する唯一の道である。この基調をもった意欲を非実際的人間のユートピア的=神秘的な夢想と見做す限り、混乱はさらに続くであろう。人びとは平和について語るであろう。しかし戦争の原因を取り除くことができない。最近のように、かつて権力をもっていた個人(注)がまたそのような権力を手に入れようと努力している様を見るとき、ヨーロッパの運命について深く憂慮せざるをえない。状況が極めて不健全であり、そのような憂慮をもたざるをえないことについて、私たちはよく考えなければならない。(1921年11月6日 週報「ゲーテアヌム」第一巻十二号)

(注)カール一世。オーストリア皇帝、1921年の復活祭と10月にクーデターによってハンガリーの王位につこうとした。

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