去年は開店休業状態だった音楽系サイト、バウンドヘッドですが、今年、暖かくなったら少しは何かできるかもしれません。
あちらでは、政治関係の記事は書いてませんが、しかしあすこで書いてきたことは、まさに私の生活圏と日常生活と直結している興味関心領域です。
私が小学生だった時分、一番好きだった科目が体育と図画工作でした。それは小学校入学から卒業までずっと変わりませんでした。最近の操練会議は教育問題関連のエントリーが多いですが、小学生時代の実際の私は「知育系の教科」はいつもオール3状態だったのであります。
でも描いたり、組み立てたり、とにかく手を使って何かを作るのが好きだったのでした。私は左利きだったので、鉛筆や絵筆はいつも左手に持って描いていました。でも文字は右手で書いていました。たとえば、絵を鉛筆で描いているときは左手で描き、その絵に吹き出しをつけたあと、その鉛筆を持ちかえて、その吹き出しのなかに右手でセリフを書いていたのです。文字については、なぜかこれだけは母に小学校に上がる前に直されたのでした。でもごはんは左手で食べてます。
でも高校にあがってからは芸術系科目は音楽・美術・書道の三つのうちからひとつ選択になっていたので、絵を描くのは好きだったにも関わらず、私は音楽を選択して、それ以来ほとんど左手を使って絵を描くこともなくなりました。(パソコンでネット生活をするようになって多少色彩デザインしたり線描したりするようにはなりましたが……、でもマウスは右手用にできているでしょう。だからパソコンで線を描くときは「右手」を今では使ってます。ああ、昔の左手感覚が懐かしいです。)
学力が落ちたという心配をする憂国家は多いですが、子どもの色彩感覚が落ちたとか、演奏能力が落ちたなどと心配する保守系あるいは革新系憂国家という者を私はまだ知りません。彼らはこういった能力----というよりセンス(感覚)というべきかもしれませんが----は「知力」とはまったく関係がないと思っているフシがあります。はたして「そう」なのでしょうか。
以下のコラム、たまたま見つけたものですが、相当に感服いたしました。教育関連記事をまずは読んでいただきたいですが、その他の記事も無類におもしろいのであります。皆様ぜひぜひお立ち寄りくださいませ。教育再生会議や教育再生機構のメンバーの「おしゃべり」はあまりにも紋切り型で面白くないということが、逆によく分かると思いますゆえ。兵頭二十八氏の「教育エネルギー無駄遣い論」(原題:「やはり高校は要らなかった」)に次いで2度目に私が面白いと思った教育言及記事です。
以下参照
Iwatamの何でもコラム 「ゆとり教育論その他」
http://iwatam-server.dyndns.org/column/index.html
こちらも再掲示
兵頭二十八の放送形式「やはり高校は要らなかった」
http://sorceress.raindrop.jp/blog/2006/10/#a000736
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