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操練会議

このblogは、HP「物部守屋の末裔 勝海舟の研究」の付設ページとして設けられました。
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アジアの中の日本

世界の趨勢は中東地域も含めたアジア世界の精神的発展にかかっています。現在のアンチ・アメリカ派の議論はその視点がまったく欠落しています。そして日本人はこの問題に真剣に関心を寄せたことがありません。そして学者とそのエピゴーネンたちも抽象的に民主主義の批判はするようになりましたが(それなら自宅の椅子に深々と腰掛けたままできる楽な振る舞いです)、現実にイスラム世界を含めた東西アジアで起こっている体制の停滞状況を見て現実的な痛みを感じようとすることはありません。ですから、反資本主義の立場から抽象的に考察すると、「悪いのはいつもアメリカなんだ」ということになります。けれども彼らは資本主義が何なのか本当は説明することができません。実は彼らの大部分が真剣にこれらの問題と格闘したことがありません。彼らにとっては資本主義とは拝金主義思想でしかないからです。その前提から世界問題を議論し始めれば、結論を出すのに数秒とかからないでしょう。彼らは道徳の話がしたいだけなのです。しかしその道徳感情とはどこから出てきたものなのでしょうか。彼らが児童生徒の時も、彼らは学校の教師からたびたびそのように資本主義の悪口を聞かされてきました。大人になった今、ただその経験を思い出して安易な判断を行っているだけなのです。彼らは自分は社会主義者ではないというかもしれませんが、社会主義者と同じように経済問題を眺めているという自覚がまったくありません。

しかも日本人の多くが、現実のアジア世界はいまなお大部分が民主主義以前の政治体制のなかで近代化への苦闘を行っている最中なのだということを意識したことがありません。それは戦後の左傾的な空気のなかで、学者もマスコミも学校教師も、その「アジアの精神問題の存在」を子どもたちの前から隠してきた結果でもあります。例えば現在、中国の経済発展については何度も採り上げて、中国には経済特区というものが「ある」ということは学習しても、中国には国会というものは「ない」ということを子どもたちが学習することはありません。中国や北朝鮮やベトナムやミャンマーやその他アジアの発展途上の国々の「精神生活の現実」について、学校の教師たちは児童生徒の前で真剣な憂慮を表明するようなことはほとんどありません。ただ当たり障りのない記述がなされている教科書の単語を拾い上げて、それをテストして、「お前はアジアについてよく勉強している」と褒めたり「お前はアジアの理解が足りない」と不平をこぼしたりするだけなのです。

アジアには「国民の議会」の存在しない国、あるいはあっても形ばかりで議会政治が機能していない国、「言論の自由のない国」「信教の自由のない国」がたくさんあるのだということを、日本の子どもたちは知りません。学校の教科書にはそういうことは書かれません。教科書を子どもたちにあたえる執筆者たちは何をおもんぱかってか、日本人が使う教科書にも「中国には、国民の選挙によって選出された国会議員というものは存在しません。したがって中国には国会がありません」とは書かないのです。

教育現場でもそういった「現実問題」は教えてこなかったのです。だからアジア地域の前時代の遺風を温存し、その遺風の中に社会主義的体制を注入してアメリカと激突させようと思っている勢力にとって、日本人がこの問題を意識化できない状態のままでいることはまことに都合のいいことです。変わらなければならないのは、まず 「アジアの精神生活」なのだという「隠れた世界問題」が存在するということを、声をあげて語る知識人は日本にはほとんどいませんでした。

真の国力(民力)の向上は「国民の精神生活」が支えているのです。「新生した国民精神」なくして、ヨーロッパやアメリカと思想面・経済面でも競えるでしょうか。18~19世紀、東西のそれぞれの国民の精神生活の民力の上で圧倒的に負けていたからこそ、アジア世界は植民地化され、ヨーロッパ人に2等市民扱いされるという精神上の屈辱を受けてきたのです。アジアが経済的に貧しいのは「アジアの精神の貧しさ」(真に開かれた国民精神の不在)の結果にすぎません。

今もなお白人国家以外の民主的で開かれた豊かな国家は東西アジアのなかで日本以外に存在しません。近代、日本のみが突出してアジアを牽引してきたのです。中国がいまの日本と同じ立場で同じ時期に民主的な近代化を成功させていたら、21世紀のアジアはいまとはまったく異なった様相をしていたでしょう。しかし、まさにその中国こそがアジアの精神的停滞の最大の原因となって今日にいたっています。

戦後ずっとG5やG7に、いつもひとりだけ肌の異なった人種が登場してきたのを、日本の子どもたちはテレビニュースで見てきました。それが東西アジアが「世界に送り出した唯一の黄色人の代表者」でした。いま少しずつ、アジアニーズというような言葉が生まれ、日本以外にも、アジアは精神的にも経済的にも力をつけてきましたが、それでも日本が「国民の自由な精神活動」と「国民の自由な経済活動」の牽引力となっているという状況は変わりません。

日本の近代化の過程で、マルクス主義がヨーロッパを荒し回るようになる以前に、明治政府が西欧から「国民の自由な精神生活」と「自由な経済活動」という理念をいち早く導入できたのは天佑でした。アジア地域へのマルクス主義出現以後に、近代化を始めなければならなくなった、その他のアジアの民族は、「半世紀遅れた近代化」のために、おそろしい境涯に陥らねばならなくなり、いまその治療がずっと行われている最中なのです。

現在の日本と引き比べて、明治政府のやったことはあれこれと不十分だったと批判する人々もいます。実際現在の子どもたちが使っている社会科の教科書は歴史も公民もそのような批判に満ちています。しかし日本人の精神生活が「戦後」いきなり変わったわけではないのです。戦後はその深度が一段と深まったのでした。現在、道徳問題として先進国がみな一様に抱えている国民の精神の負の面は、あくまでも「精神の領域」として対峙されるべきものです。多くの人がこれを「経済システム」のせいだと深い考えもなく語ります。しかしその理由づけこそ戦前から社会主義者がやってきたことではなかったのでしょうか。「経済システムを変えれば国民が皆平等に幸せになれる」と。そして自分は道徳家だとうぬぼれていた人々は、この地上に恐るべきいびつな国家体制をもたらしました。これらの道徳問題について、今後、自分が現在自覚なしに依拠している意識の暗がりの中に置かれた前提に光をあてて、「そう判断する根拠の正しさの吟味からこそ新たに問い直そう」と、人々が本気で決意し、新しい思考態度で精神問題に対峙していかない限り、人々は「社会主義者の感情を結局後ろからなぞり続けるだけだ」という「現在日本で起きている精神状況」から一歩も前に進めないということになるでしょう。

国民の「自由な精神生活」という点で「日本に伍する国家」は東方アジアにも西方アジアにもいまだありません。けれども、そのような性格を持った国家は今後長い時間をかけて東西アジアにますます増えていくのです。彼らは新しい精神生活を獲得しようとしている最中です。日本はもっと自信をもってよいのです。そして大人たちが「こうすれば金持ちになれる」「お前たちの未来の資産が奪われようとしている」「お前はIQが低いから低所得層の下層民になるぞ、それでもいいのか」というようなことではなく、学校という場所でまるで心に響かない現実感の希薄な表象ばかりを多量に詰め込まれ、その意味もよくわからず試験されて疲れ果て、本当はもっと現実感のある生き生きした精神生活に深くかかわりたいと心の深部でたえず感じながら生きている現代の子どもたちに、アジアの中の日本について理想を語るべきなのです。

日本の子どもたちや若い人々はもはやかつての日本人のように欧米人に劣等感を持っていません。彼らは「強い自己意識をともなった魂」を持って、新しくこの日本という国に生まれてきました。戦後ずっと、密かな地下水流となって、弱い自己感情を持った自信なきインテリ人の脳髄を侵してきた陰謀論も人気を失っていくでしょう。彼らは今まで同様、今後も椅子から立ち上がることもなくあれこれと思考作業を続けながら本を書き、空疎な言葉の並べ替え作業に没頭するでしょうが、誰も彼らを敬意をもって見上げたりはしなくなるでしょう。「陰謀論という屈託する精神」は、そういう個々人の弱い自己感情(魂)のバイアスに影響されて生じた世界観、あるいは世界の感じ方でしょう。劣等感こそ猜疑心の生みの親だからです。ですから、今後ますます、日本の若い人の間から陰謀論は人気を失っていくのでしょう。未来に諸外国との軋轢がまったくなくなるというわけではありません。今後も国際問題はそのつど時の政府同士、双方の国民同士の具体的なイシューとして、アメリカ相手にもアジアの諸国相手にも起こるでしょう。けれども、新しい人は、かつての日本の若者たちのように屈託しないでしょう。そういう新しい人々が、日本とアジアの精神生活を前進させてくれる原動力になるのです。

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真実から目をそむけるヨーロッパ

以下はジャン=フランソワ・ルヴェルが『反米妄想』の第1章「真実から目をそむけるヨーロッパ」の中で書いていた文章の抜粋である。

----私が知る限りでは、20世紀を暗黒の時代にしたのは、間違いなくヨーロッパである。ヨーロッパの政治とモラルのあり方が、二度に渡る世界大戦のような大混乱をひき起こしたのだ。この混乱は、史上最悪の犯罪的二政体(ヒトラーのナチズムとスターリンの共産主義)を実現させた。この悪と愚劣の頂点に、ヨーロッパ がたどりつくのに30年とはかからなかった。

二度の世界大戦とふたつの全体主義をひき起こしたのがヨーロッパの失策なら、第三世界に植民地化と いう後遺症を残し、発展途上国に行き詰まりや混乱を起こさせたのも、もとをただせばヨーロッパに責任が ある。イギリスやベルギー、スペイン、フランス、オランダ、これに遅れてやや小規模ながらドイツ、イタリア などのヨーロッパ諸国は、互いの領土を略奪しようと争った。そのヨーロッパが、アメリカのインディアン迫害や黒人の奴隷制などに反論しても説得力はない。当時、将来アメリカとなる土地を先住民から略 奪・占領したのも、植民地支配を行ったのも、ヨーロッパからの移住者ではなかったのか? さらに、彼らはヨ ーロッパの奴隷商人から奴隷を買っていたのではなかったか。----

引用は以上である。

要するに、ルヴェルは、「ヨーロッパ人は自分たちのやらかしたヘマの結果をアメリカになすりつける欺瞞の日々にいそしんだまま平然とすまし込んでいる」と言っているのである。

将来において世界に崩壊現象がひき起こされることがあるとするなら、そのような「現代のヨーロッパ精神」こそがその原因を作る役目をするだろう。

グローバリズムと貧困問題に関して、世界の住人たちがまだはっきりとつかんでいない事実がある。た とえば今アフリカ大陸を支配している政治的現実のことである。ルヴェルの発言をま た引用する。

----アフリカ諸国の経済を破壊し、発展への足枷となっているものは、市場主義より国家統制論、資本主義より社会主義が支配する現状である。アフリカ諸国のほとんどは、「ヨーロッパで学業を修めた少数のエリート」が政府の要職に就き、ソ連や中国のシステムを採用して国政を執っている。彼らは絶対的権力を我が物として、個人資産を増やす手段を 手中に収めた。彼らの狙いは、貧困層が空腹を満たすことではなく、「社会主義の産物である深刻な貧困化」を資本主義のせいにすることなのだ。

アフリカの特権階級による、ソ連や中国を真似たコルホーズ(集団農場)政策や、地方の寡頭政治による国際援助資金の恥知らずな浪費の他に、市民や国家間の絶え間ない戦争、宗教戦争、国家の消滅、部 族間の人種差別、民族大虐殺などが、アフリカ民族を貧困に陥れ力を奪った、主なそして唯一の説明である。

これらの国が機能しないのは、彼らが自由主義ではなく国家統制主義を、資本主義ではなく社会主義を 選択したからだ。そして、延々と続く内戦がアフリカ諸国全体を破壊に導いている。アフリカ諸国が破滅し かけているのは、経済的な要因よりも、政治的、思想的、部族的なそれによるところが大きい。----

あなたはテロリストを養成している西南アジアや中東やアフリカの国家群が「どんな政治体制を持った国家群か」調べたことがあるだろうか。その多くはヨーロッパで社会主義あるいは共産主義思想を学んだエリートたちによって運営された失敗した国家群なのである。

だがヨーロッパにしても日本にしてもそうだが、社会主義こそが最上の国家統治思想だと、いまなおそのような思考態度にシンパシーを感じている学者やマスコミ連はその肝心な部分だけはいつも伝えないままなのである。

そして彼ら自身の失敗を資本主義やあるいはアメリカという国家のせいにして責任逃れをしてきたのである。北朝鮮がアメリカを帝国主義と規定して、「自分たちの失敗を自国民には決して知らせない行為」とどこが違っているだろうか。「左傾人は自己反省しない」のが通り相場である。それは「世界のどこに行っても同じ精神」なのだから。

私はかねてよりイスラム戦士を名乗るテロリストの養成は、実はヨーロッパで「左翼思想」に刺激を受けて戻ってきたインテリたちによって行われているとずっと言い続けてきた。

また、イラクはイスラム教国家ではなく、カダフィ大佐の社会主義人民リビア同様、共産主義というヨーロッパ発の全体主義(あるいは武装革命)思想に国家の土台を置いている、だから今起こっていることを宗教対決なぞと思ってはいけない、そうではなく事実は共産主義者がイスラム教を武装闘争の隠れ蓑にしているのだ等の話をしてきた。そのような話を日本の識者が公に口にする場面なんぞ見たこともなかったが『反米妄想』ではその事実もちゃんと語ってくれている。以下引用する。

----アル・カイダの訓練基地で兵士に渡されるマニュアルが、イギリスで英訳されて出回っているが、そこには聖戦の原則や目的がはっきりと明記されている。これに引用されている哲学的記述を見れば、著者(複数)が無学な者ではなく、おそらく欧米で学業を積んだ者であろうことがわかる。彼らは西洋思想を心得た上でマニュアルを記している。例えば「我々が対決を訴える背信的なこれらの国家は、ソクラテスの対話やプラトン思想、アリストテレスの外交というものを無視している。一方この闘いは殺人や爆撃、破壊、大砲や機関銃の理想的な姿を知っている。我々に与えられた使命は、神を崇拝しない国家を打倒し、我らイスラム教国家がこれにとって代わることにある」。このマニュアルはほんの一例にすぎず、同様の出版物は枚挙にいとまがない。テロリストの頭の中ににあるのは、地上からあらゆる悪を撤廃し、善なるもの、つ まりイスラム教を代わりに据えるという目的だけである。

イラクはイスラム教国家とはいえない。なぜならこの国は基本的に無宗教主義であり、サダム・フセインは自国に住むシーア派教徒や北部のクルド人(ともにイスラム教徒)を平然と化学兵器で殺害できるからだ。 アメリカのことを許せないというイスラム教徒が、他のイスラム教徒が攻撃されるのを見て何ともないという のは不思議な話だ。----

今世界のすべての民族内部にいる混乱した魂の持ち主は、たえずヨーロッパ人の脳髄から生み出され た共産主義思想=全体主義=反米思想から戦いのヒントと動機を得ているのである。

もう少しルヴェルから引用してみよう。

----イスラム教徒の欺瞞のなかでも一番ひどいのは、テロリストたちがアメリカに対する敵対心を正当化したこ とである。かなり以前から今日に至るまで、アメリカは、イギリスやフランス、ロシアに比べ、できる限りイスラム教国家に干渉しない政策をとってきた。ヨーロッパの強国は、イスラム教国家を、何十年も、時には1世紀以上も、繰り返し征服し、侵略し、抑圧してきた。しかしアメリカがイスラム教国家を植民地化したことはない。アメリカ人が彼らに特別な敵対心を抱いたことはなかった。それどころか、ソマリアやボスニア、コソボに軍事介入したのも、マケドニア政府に圧力をかけたのも、少数派イスラム教徒を擁護するのが目的 であった。イスラエルが創立された歴史的背景には、ヨーロッパの反ユダヤ感情が大きく関与していたのであって、アメリカは無関係であったことも思い出してほしい。

テロリズムの唯一の原因が、経済の不均衡と世界中に散在する貧困であるとする理論は説得力に欠け る。テロリストの大半は、世界でも最も裕福なイスラム国家の、裕福な家庭の出身である。また「彼らの多 くは欧米の大学を卒業している」。この新しいハイパーテロリズムの本質的根源は、イスラム原理主義者 の作り上げた偏狭なイデオロギーである。-----

イスラム教徒という呼称に騙されてはいけない。今アラブ世界は全体主義思想に蹂躙されている最中である。イスラム原理主義者は全体主義思想の体現者という意味で、共産主義思想やナチズムと同根の心理状況を生きている。また彼らは「偏狭な道徳家」となって「他者の小さな道徳的瑕疵」さえ許容できなくなっている。連合赤軍を描いた映画『光の雨』を見るとよい。彼らがいかに他者を「自分たちの指導するように、正しく考え、感じることができない」という理由で道徳的に責めたて、「死の制裁」を加えてきたか。自己批判とは左翼人が用いた言葉である。彼らはそれを強要し、拒絶する者には死の制裁を加えてきた。「アフガニスタンの全体主義者」だったタリバンは同胞に対して「連合赤軍幹部」がやったのと同じ「道徳的要求」を行い、多くの同胞をみせしめに殺してきたのではなかったか。そしてビン・ラディンのアルカイダも「道徳的批判」を掲げながら、殺戮を繰り返すことに躊躇しない集団である。

彼らすべての脳髄には「同じ規格」の1本の穴が開いている。そしてその中を「一本の同じ太さの輪っか」 が通っている。その輪っかは「各々の脳髄の穴」を通り抜け、「円」を描いて結ばれあっているのである。そ の鍵束のようになった輪っかの端っこを、一体「どんなひとつ情念」が握っていて、その「鉄の輪」のようなものに 結ばれ合った者たちの頭を揺らしながらジャラジャラと音をたてているのか?よく見ると、その輪っかには「われら全体(社会)主義者を讃えよ」と書いてあることに、注意深い人は気がつくに違いない。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

アメリカはなぜ立ち去れないのか

日本の共産党・社民党を代表とする左翼政党、あるいは大陸・半島系の中国共産党、朝鮮労働党という社会主義・共産主義者たちにとってもっとも「あって欲しくないもの」こそ、日米の政治的軍事的蜜月行為である。そして、戦前戦後を通じてのマルクス主義的情念の極東地域への影響力の拡大につれ、彼らにとって、極東地域における日米の政治的理念的親和力の分断こそが自分たちの政治的理想(あるいは情念)実現の達成のために、もっとも力をいれるべき政治目標になったのだ。だからこそ日本の左翼人たちは「日本はアメリカの奴隷」「日本はアメリカの植民地」などというような、よく考えれば「よくもこれほど同胞を愚弄する言葉を吐けるものだ」と思うような言葉を同胞に向かって平気で吐けるのである。保守を自称する側にも同様の言説的振る舞いを行う勢力があるが、それは彼らが実際には社会主義的な経済感覚を土台にすえているからである。彼らは「自分たちのように感じない同胞は馬鹿だ」と思っている。彼らは「人間の振る舞いには必ず裏がある」と思いたがる。だから陰謀論をさまざまに空想するのが大好きな人々でもある。右自称であれ左自称であれ、彼らの精神上の本質は同類なのである。だがそもそも彼らがそのような言葉を吐くことによって間接的に同胞を愚弄してきたのは、なぜなのだろうか。

本当に正直になって考えてみてほしい。日常の暮らしの中で「アメリカの抑圧行為を実感している日本人」などほとんどいない。現代日本人はほんとに自分勝手に生きている。もしたとえばパレスチナ人たちのように日常が日々戦いで、「誰が自分たちの同胞を殺しているのか」----それは「抑圧」などという抽象的言葉でひとなぞりできるような暮らしではないだろう----日々実感しているなら、別段左翼人が大声を上げなくとも、人々は「自分たちは他国に押さえつけられている」とおのずから実感するのである。

まさしく普通の日本人の「現実の生活実感」がそうであるからこそ、そのような煽り言葉は自分のことを多少はものを考えることができると自惚れている人々にしか届かないのである。そういう人々は「世界は人間の抽象力によって組み立てられている」と錯覚したがる。彼らにとっては「世界の現実を抽象化して眺めなおすことこそ最も楽な振る舞い」だからである。そしてそのような抽象的な言葉を受け入れる能力のある、実際には自分の現実的な生活場面では夢のようにぼんやりと生活している「本読みたち」の多くが、それをただ知的に受け入れる行為を「現実的行為」と思い込んでいる。だがそれは実際には夢のなかでの行為のように全体像がぼやけているはずなのだが、彼らは「世界を認識するにはそれで十分だ」と思っている。

世界中にバラバラに散らばって生きている左翼人と、そうだという自覚はなくとも、彼らと世界感覚の情念を共有しているもっと多くのシンパたちにとって、アメリカという国家は神(のような存在)になってしまった。彼らはアメリカの力を崇拝しきっている。そしてそれを地面に引きずり落とそうとするのである。アメリカはマルクス・エンゲルスを淵源とする共産主義的世界観、共産主義的情念によって自動的に「理論上、敵であらねばならない存在」に祭り上げられたのである。

アメリカはなぜ極東にいすわり続けているのか?

あなたは「すぐに答える」ことができるだろうか。あなたが中学生や高校生だった頃、学校の社会科の左傾教師は教科書が戦後の安保条約の項目に来たときに、あなたに項目だけは暗記させながら、その肝心な意味をはっきりとは伝えなかったはずである。彼ら社会科教師は日本がアメリカと同盟を結んでいるのは「共産主義者が極東アジアの精神生活を蹂躙しているからだ」とは言わないのである。それよりもソ連、中共、北朝鮮、そして国内の共産主義者の主張を教室内で代弁する。ベトナム戦争のような例を挙げ、社会主義・共産主義国家との戦いにおいて、アメリカが世界中でどんなひどい仕打ちをしたかを強調してきたはずである。

共産主義者はこういうだろう。

アメリカはなぜ極東にいすわるのか。それは日本を含む極東アジアを軍事的覇権によって「支配する」ためだ と。だが、そうではないのである。しかしもし、あなたがそう思い込んで今日まで生きてきたなら、あなたは完全に「共産主義者の世界観で世界を眺めてきた」ことになる。アメリカはなぜ大戦後すぐに朝鮮戦争を行い、ソ連と冷戦に突入し、中共勢力と対峙し、共産ベトナム勢力と戦争をしたのか。それはまさしく、「全体主義思想の一分枝たる共産主義思想がアジアの精神と生活を支配しているから」なのである。それがアメリカ人の奉ずる近代精神と敵対してきたからである。それが彼らに国益に反すると感じさせたのである。だから逆の政治状況が出来すれば、すなわちアジアから全体主義的情念あるいは共産主義情念が一掃されれば、アメリカは日本や韓国に自国の軍隊を駐留させておく意味を失う。それはアメリカにとって不利益なことなのだろうか。

日本と異なり、彼らは大戦後、共産主義国家群との戦いでたくさんの自国の息子たちを失ってきた。しかしこの「反共という戦い」は本来、我が父祖たちがヨーロッパ人たちによるアジア地域の植民地化に対抗するという目的のもとに樹立した明治政府が、「その本来の目的」とは別個に、その世界問題の出現に気がついたところの、「もうひとつの日本の立ち向かわざるを得なかった新たな目的」であったことを、戦後の日本人は忘れてしまっているのである。幕末期から戦前までの日本には「二つの課題」があったということを誰も声を大にして子供たちに教えようとしてこなかったのが、これまでの戦後日本である。日本が戦前に治安維持法という法律を持たざる得なかった原因を現代の左傾教師たちは180度解釈を変えて子供たちに伝えている。歴史の組み合わせや結果が異なっていれば、アメリカ人ではなく、日本人自身が「大東亜共栄圏の自由経済活動を侵す反逆者」として共産ベトナム軍と戦争していたかもしれないのだと戦後の日本人は考えたことがあるだろうか。

アジアを混沌に陥れたヨーロッパ発の情念は新しいアジアの未来のために払拭されねばならない。またそうなれば、われわれとしても、アメリカという国家のこれまでの「血の苦労」をねぎらい、丁寧な挨拶とともに国内からのアメリカ軍の撤退を平和裡に進めることができるのである。もはや日本政府はアメリカ政府に対してはっきりとこう進言することができる、「極東アジアの精神生活は新局面に入りました。こういう状況ですから、もはや貴国の軍隊がわが国に駐留する意味を失いました。このようにして極東人の精神生活と政治状況に変化が生じた以上、軍事面においては今までとは別様の付き合い方になるのは必定かと存じます。新しい極東アジアの出現は貴国の国民による軍事負担を軽減できますし、そのことでまた今後はこころおきなく、アジア地域においてビジネス活動も展開できるでしょう。これは経済立国たるわが国にとっても願ってもないチャンスであります。戦前は互いに死闘を演じ、大戦後は互いに、ずいぶん共産主義者相手に苦労しました。これでようやくひとつの長い歴史の節目、新しい展望を内包した歴史の節目に到達できたと思います。今後も貴国とは親しくよいお付き合いを願いたいものです」と。 現在の状況が進展するかどうかは、「アジアに生きる人々の自覚と精神生活の変容」にかかっているのである。

以下の写真を見てもらいたい。

img014.gif

 

 

 

 

 

 

日本共産党が日本全国に張っていたポスターである。 (2004年時点)

いつまで続ける
アメリカいいなり

安保をなくし
ほんとうの独立日本に

と書いてある。しかし、これは詐欺師の煽動文句なのである。アメリカが極東にいすわっているのは、「このような共産主義的世界観に立脚した政治煽動家たちによって極東全体が包囲されているから」なのである。いったいこんな不思議な茶番劇がまたとあるだろうか。「アメリカ軍駐留の原因になっているモノ」が「アメリカよ、ここから立ち去れ」と叫んでいるのである。

彼ら共産主義者の主張するように「アメリカ軍を極東から立ち去らせたい」なら、その「もっとも効果的な解決方法」は、そのように主張する彼ら自身が「極東から消えてしまうこと」なのである。だが彼らは「共産主義者なしの極東からのアメリカ軍撤退」などけっして容認できない事態だろう。

だが、これこそが左翼勢力が戦後一貫して「特別政治的に生きてきたわけではない----そんな必要もない----大部分の日本の普通人たちの目の前から隠し続けてきた極東問題の解決方法」なのである。

われわれは「極東からのアメリカ軍撤退後」の世界問題をも考えることができなければならない。なぜなら、いつになるか分からぬにしても中国共産党が倒れ朝鮮労働党が政権を失うのは必然事項だからである。中国の民も北朝鮮の民も、自分たちの選択意志で選んだのではない政党人たちによって自分たちの精神生活を支配されたいとは思っていないのだから。

中国人は民主主義を知らないのか。

そうではない。イギリス統治下だった香港はイギリス直伝の民主的な統治を体験しているのである。彼らは歴史的に実体験としてイギリス人に統治と自治の方法を訓練されてきた。香港人のなかの選良たちは実際にイギリス政府によって選抜されてイギリス本国に招かれ、自由主義精神下における統治とはいかなるものかを学び、香港統治のための訓練を受けてきたのである。実際に多くの一般の香港市民がイギリスの影響下に民主的な自治がいかなるものであるかを味わってきた歴史体験がある。人材はいるのである。また「中国共産党解体後の人材をどこからさがせばいいのか」、という質問もナンセンスである。かつて明治政府が敵側の徳川方から人材を拾いあつめたように、元中国共産党員の中にも人材がキラ星のように存在する。彼らの能力を「新しい中国」の統治に生かさない理 由はないのである。そしてそういう事態が出来すれば「極東の軍事問題」は相対的にその重要度を減少させざるを得ないのである。なぜならそうなれば、われわれは政治的-精神的にも経済的-物質的にも真の意味で共同することができ、ゆるやかな経済共同体をアジアに出現させることができる可能性を得るからである。だからこそ、新たに出来するであろう「未来の課題」のために、「今われわれが立ち向かい解決しなければならない政治問題-精神問題とはいったい何なのか」、極東アジアにおける「どんな政治的-精神的状況がそのような未来を阻んでいるのか」ということをよくよく思い出して、けっしてその大目標を忘れることがないように、しかと肝(ハラ)を決めておくべきなのである。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

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1960年生まれ。宮崎県延岡市在住。

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