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資本主義の定義補足

実は前回のエントリーは「博士の独り言」という人気ブログへ出したコメントに触発されて書いたものでした。

「中共の廃棄場-七大河川はすべて重度の汚染」

http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-68.html

中国の公害問題です。私は以下のようなコメントを書き込ませていただきました。

法領域の問題

----公害は法領域すなわち国民の人権問題とリンクしている問題だと思います。「無節操な消費社会」という言い方はいささかステレオタイプな表現だと思います。消費社会とは大量の価値生産と移動が起きている社会のことで、たとえば大量生産で一番恩恵を被ってきたのは、実は庶民です。T型フォードの大量生産が始まったとき、それを買ったのは富裕層ではなく、それまで車なんぞとても高くて手が出せなかった所得層の人々です。大量生産方式の100円ショップがなくなると日本の庶民は嘆くでしょうが、もともとのお金持ちは、100円の茶碗でごはんをたべたりはしないでしょう。この方式がゆきづまると困るのは、実は金持ちではなくて庶民の方なんですよ。いつも人は抽象的に考えますが、経済発展の過程で、そのように人々の間の価値交換圧力が増すことが、雇用の増進と庶民の所得の増進にもつながりました。もし、「つつましくくらすべきだ」という道徳的要求をもった人物が政治改革を行って、産業を社会主義的に再編し、人々の間から物資の交換圧力を減らすと、それは「それまで価値ありとみなしてきた生産物」を「無価値なものとみなせ」ということと同じです。大量生産ラインの工場で働いて賃金を得てきた労働者は、もはや生産活動をする必要はありません。そして彼らは今度は大量の失業者という問題を抱え込むことになります。本当の資本主義はステレオタイプでひとなぞりしきれるものではありません。経済活動を一面的な道徳観から断罪するのではなく、この領域は本当に研究をはじめるとワンフレーズではかたずかないということを、大量生産方式の恩恵をこうむりつつ、道徳的に生きたいという要求もかなえたい庶民は考えるべきだと思いますが。----

そういうわけで、前回のエントリーは以上のコメントを発展させたものであります(一部改定)。自分なりにこういう問題をひとつの文章の形にすることができたので、博士のエントリーには大変感謝しております。

 

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資本主義の定義

以前のエントリーで、「人々は真剣に経済の問題と格闘したことがない」にも関わらず、「資本主義とは何か」をすでに分かった気になっているというような趣旨のことを書きました。

経済というと、奇妙な金融系の方程式を持ち出して、人々の「経済を理解したいという欲求」を脅しにかかる人が多いので、多くの人が「経済は分からないものだ」と、亀が外の世界を見渡したいと思いながら、他の生き物に脅されてぷいと首を引っ込めてしまうように「本当のところを知りたい」という欲求を引っ込めてしまいます。そこに道徳家があらわれて、「金儲けはいかん」といって「資本主義は金儲け思想だ」と紋切り型の道徳論をぶつと、「現実に生産活動をおこなっているはずの当事者たち」が、自分の生活感覚とは異なった理屈を注入されても、反論できないという悪循環に陥ってしまいます。

多くの人に、本当は、デリバティブとかヘッジファンドとかいうような「特定領域の問題」ではなく、もっと包括的な経済活動全体の見取り図を得たいという欲求はあっても、それらの欲求を持った人々が「自分自身の労働行為や購買活動の現実」から得た体験と、多くの自称経済専門家たちの繰り出す言葉とをつきあわせても、かえって「経済とは何か」という素朴な疑問の答えが、ますます分からなくなるだけだという結論にいたります。

ですから、経済道徳家たちの、拝金主義、大量消費社会という批判には、全面的にうなづきながら、一方で雇用問題や失業問題を解消し、賃金のベースアップ問題も前進させるべきだと彼らは思います。多くの人は「大量にモノを生産する工業システムがいま破壊されたら、自分の勤めている会社の生産物は価値なきものとされ、倉庫に在庫品として積み上げられて、結局自分が失業するかもしれない」とはついぞ考えません。

中学校の公民の教科書に資本主義の定義が出てきます。「資本主義は利潤の追求を目的とする」と書いてあります。「利潤目的に活動するのが私企業で、利潤目的に活動しないのが公企業です」と続けて書いてあります。教師を含め、多くの人々がその記述を「道徳的に受け止めている」のです。公企業は(あるいは最近はやりの非営利団体NPOなどは)人々の税金や寄付で動きます。公企業を動かすためには、私企業で利潤をえた会社と労働者たちが、その一部を活動費(税金や寄付)として国や地方公共団体、あるいは非営利団体に納めなければなりません。公企業は私企業で働く人々がいなければ、活動しえない活動領域なのだとは考えません。公企業の方が「道徳的だ」と勘違いする中学生もでてきます。

現実の社会で生産活動をし、売買をしあって生きている私たちは、現実の中からたえず、いわゆる「資本主義というシステム」を改良し続けてきました。経済領域は、一方で、法領域からの働きかけと、新しい価値を生むために生産活動に工夫と発明を導入する人間の精神力という精神生活からの働きかけも受けています。資本主義システムというのは、実はとてつもなく複雑で、巨大に絡み合った宇宙なのですが、彼らは現実の中から現実に見合った資本主義の定義を、再構成しようとはしません。そしていまだに、戦前から使い古されてきた「資本主義の定義」を暗記して、道徳的な攻撃心を心のなかに抱きながら、自分が攻撃を加えている生産活動と消費活動にいそしんでいます。そして労働者の権利を守れと叫んでいます。

そうすると、自分の内部に巨大な矛盾を本当は感じるはずですが、「近代という勉強の時代」は権威によって教科書などで与えられた説明には矛盾はないのだろうと、本当は皆が心の深部で感じているはずの「それはちょっと違うのではないか」という疑問を押し殺す働きをしてきました。

資本主義とは何か、という問いに関しては、実はあたらしい性格付けが必要とされているのですが、人々はいまだにその試みに手をつけようとはしていません。道徳的糾弾のニュアンスを含んだ「19世紀以来の学問的な説明」が有無を言わせぬ権威となって、現実に生産活動と消費活動を行っている人々の感覚を麻痺させているからです。

学者の使命はなんでしょうか。戦前から継承されてきた実態とはずれた道徳的糾弾という幻影を権威的に伝えることではないでしょう。そうではなく、人々によって学問の場で働くことを許されている人々は、人々の本当のことが知りたいという欲求をちゃんとくみ取って、紋切り型ではない資本主義の性格付けを分かりやすい言葉で行うべきなのです。日本の学者は多くが社会主義的な視点からモノを言う人々ばかりでしたから、庶民の知識や感情はとても偏ってしまっています。自分のやっていることと主張されていることは矛盾しているはずなのに、庶民はそれに気がつきません。学者を自称してはいても、哲学や文学領域の学者は、庶民と変わらない感覚で、経済領域に接しています。なによりもまず「経済領域に道徳的に近づく」という誤りをおかしていることに彼らは気がつきません。この領域には、マルクス出現以来、巨大な霧のようなものがおおいかぶさっているのだということを認識しないと、現代の実情に見合った新しい資本主義の性格付けはできないはずなのです。主義というものは、成長します。19世紀の労働者の立場と21世紀の労働者の立場はまったく異なってます。それなのに、19世紀の定義で21世紀の経済活動を全部説明しきれるでしょうか。

学者の仕事は、難しい経済方程式で庶民を脅しつけることではないはずです。知識人が知識人でいられるのは、具体的な生産活動に従事している人々が、その生産活動の成果の幾分かを、知識人が精神活動を行えるようにと振り分けているからです。知識人は言葉という目に見えないものを扱います。それだけなら、売り物にはなりません。知識人は人々のさまざまな下支えがなければ、たとえば本一冊出せません。紙を作る人がいて、版組みをする人がいます。そこにはすでに商品という価値の交換がさまざまに介入してきます。一枚の紙ができるまでのさまざまな経済活動を思うだけで、そこにどれだけの人々の手が介入しているのか簡単には一望できないはずです。

こういったことも資本主義の一側面です。人々は「新しい説明」を求めているのです。

一国資本主義の破綻

以下はビル・エモットが『20世紀の教訓から21世紀が見えてくる』のなかで「両大戦間の一国資本主義の破綻」と小見出しをつけてまとめている箇所の抜粋である。


----ナショナリズムと干渉の習慣、あるいは国益を守ろうとする習慣は国民性に深く染みこんでいるものだ。そのために20世紀のヨーロッパは当然ながら、ナショナリズムの危機と、それとともに生じる醜い人種差別の歴史として見られている。

20世紀および、その中で誕生したEUの起源は、ナショナリズムと戦争防止について、まったく異なる筋書きを物語ってもいる。そこで語られているのは「近隣窮乏化政策」、あるいは「世界を止めろ、俺は降りたいんだ」式の経済ナショナリズムの惨憺たる結果である。それが、EUの歴史で銘記しておくべき第二の側面だ。スターリンの「一国社会主義」は大失敗に終わった。だが、1914年から50年にかけて西欧諸国で試みられた一国資本主義も同じくらい無惨な結果に終わっている。-----

ここで、一度小さな解説を挿入しておきたい。経済領域は今や一国単位の「国内経済」から世界で一単位としての「世界経済」へと変貌した。経済は一個の人体へと変貌しているのに、個々の臓器(国家)に住む細胞(国民)のいくつかは、いまだに自分は臓器のみに属し、この臓器さえ守ればいいんだと錯覚している。だから、いきおいこんな発言が飛び出してくる。「今、おれたちの隣の腎臓がぶっこわれたら、漁夫の利を得るのは心臓だ。あいつはまたおれたちの大事な血液を独り占めしようとしている。それを許していいのか」・・・・・。血液が一箇所にたまって再び他の人体領域に送り出されなくなったら、人体全体が滅ぶ。「ある臓器が血液を独り占めにして充血状態になりたがっている。そのうち人体の血液はやつに全部独り占めされてオレたちの手元から消えてしまうぞ」と彼らはなぜいつも思い込んでいるのだろうか。個々の臓器に住む細胞の中には、相変わらず奇妙な妄想に耽っている者がいる。

引用を続ける。

----1914年以前から、ヨーロッパの国々はすでに保護貿易主義の色彩を強めており、フランスとドイツでは輸入品に高い関税を課していた。だが、1920年代と30年代になると、経済ナショナリズムはいっそう高まった。1918年以降、それを引き起こした直接の原因の一つは、新しい国が誕生----オーストリア-ハンガリー帝国が解体して三カ国になり、ロシアの国境地方から五カ国が新たに独立----し、それらの国々が新たな関税と新たな輸入割当と特別徴収税を導入して、他の国と、離脱したばかりの旧統合市場から自国を守ろうとしたことだ。別の原因として、ソビエト連邦の建国によって貿易に「思想上の障壁」が生じたこともあげられる。そればかりか、フランス、ドイツ、イギリスもまた自国に障壁を築いていた。

ヨーロッパの内部で膨れ上がった憎しみも、1918年のあとの負債と賠償から起こった金融不安とともに、こ うした措置をとらせるきっかけをつくった。また第1次世界大戦以後には、「自給自足が戦争に勝つためだけでなく生き残るためにも必要だ」という考えが生まれ、なかでも鉄鉱石や食糧などの基本的な資源を所 有し加工することが重視され、その後押しをした。しかし、外の世界もそれに一役買っていた。アメリカは1921年と22年に関税を引き上げ、ヨーロッパが戦費と再建費用の負債を返済するために物資を輸出する のを困難にした。1924年には議会が東欧と南欧およびアジアからの難民を締めだし、それによって長年 ヨーロッパの安全弁だったものが奪われた。よくあることだが、ヨーロッパでは中南米、カナダ、日本、オーストラリアのような低賃金の競争相手が新たに台頭してくることへの懸念が高まった。さらに止めを刺すよ うに、1930年にアメリカの平均関税がスムート・ホーリー関税法で59パーセントに引き上げられた。その結果、世界貿易は壊滅的なほど落ちこみ、大恐慌が激化した。

ヨーロッパ諸国はそれに応じてさまざまなかたちで孤立していった。イギリスとフランスとオランダはそれぞれの帝国内に引きこもり、関税を引き上げて帝国内部における貿易を優先し、戦時債は相互間のものもアメリカのものも債務不履行となった。ファシスト政権のイタリアは協調組合主義に路線を変更し、政府と手組んだ国営企業を優遇した。ナチス・ドイツは1930年代の不況によって最も大きな打撃を受け、兵器の製造に手を染め物々交換が行われた。

1914年から40年まで経済的ナショナリズムがつづいた結果、1957年に共同市場を制定するためのローマ条約がフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクによって調印されるころには、ヨーロッパの経済地図は奇妙なものになっていた。それはおよそ自然が描きそうににない地図だった。-----

『反米妄想』のジャン=フランソワ・ルヴェルは著書の中で 「過去に犯した危険な過ちを、再び繰り返してはならない。平価切り下げ、関税障壁の増大、為替管理などは、政府が経済活動を国境内に止めようとし、無駄に終わった例である。これらの政策が、景気停滞と戦争をひき起こした」 とルーズベルトの財務長官モーゲンソーの1944年の発言に言及している。

世界には190ほどの国家があるが、経済としての単位は「ひとつ」である。それが見えないまま議論を続けるなら、その人は「陰謀論を吹聴する方が気持ちがいい」ということになるだろう。そして、「そのように世界を眺める自分に安堵するだけ」であろう。そこでまた一発威勢のいい反米妄想をぶちかませるというものである。彼らはいったいいつまで「現実を見ずに、古い戦前からの思考サーキットをぐるぐるとまわり続ける」つもりだろうか。世界の前進を阻んでいるのは、実は彼らが見ている「外部」ばかりではないのであるが・・・・・。

ちなみにお前は親米派であろうと規定したがる人々に言いたい。私は社会生活のなかで、「この人は好き。この人は嫌い。だから私はこっちにつく、いや、あっちにつく」というような感情で仕事をしてきたことは一度もない。そのような子供じみた感情を持って仕事をする人々はいるかもしれない。あなたは普段どんな感情を持って他社と販売競争をし、苦手な同僚・上司・部下とプロジェクトを組んで働いているのだろうか。あなたも社会人なら「どういうタイプ」あるいは「どういう年齢層の人々」が特に「自分の感情を一番として自分の判断基準と行動原理としているか」思い出してもらいたい。「中学・高校の女子生徒集団の行動原理」などを思い出していただけると大変参考になるかと思われる。

右にいることを自称している人々のなかには「いや、感情ではない。思想としての反米だ」などと自己韜晦する者もいる。それは韜晦にすぎないのである。「思想としての反米主義者」なら共産主義者という正統派の人々がちゃんといる。戦後50年以上、彼らはそうやって旗幟を鮮明にして反米活動をやってきた。ならば、自称保守派は、隠れ共産主義者・社会主義者なのか。ある意味そうだ。彼らは経済理念(あるいは、そういう言葉があるとすれば経済情念)において国民が一番聞きたいことを最後まで国民から隠し通すつもりだ。そういう「ズルさ」をもって本気で国民にアピールできると思っているのだろうか。今後、さらに底が割れれば、彼らはますます国民から見放されていくしかない。

自分のことを振り返って、「確かに女子中学生集団の勢力争いっぽくて恥ずかしいところがある」と感じるところがあるならば、今までの思考習慣を変えて、あらたに思考を組み直すべきである。しかし「どうしても妄想を振り切ることができない」ならば、私はこれ以上言う気もない。それにそのような感情をあなたが密かに心に抱いていたとしても大勢に影響を与えることはないのだから。それはたとえばあなたがプロ野球でアンチ巨人軍だとしても、現実の勝敗に何の影響力もないのと同じである(個人的には私は阪神の方が好きだが)。

一方で世界は道化役も必要としている。人前でアメリカのことを「キライダ、キライダ、キライダ」とアニマル浜口のように叫んでみるのもいいだろう。だが、本人は真剣なつもりでも、何ごとも限度を越えるとそれは笑いに転化してしまう。それはちょうど、韓国の反日運動家のエキセントリックなデモンストレーションが、どこか日本のお笑い芸人の芸と同じような「笑いのにおい」を発散していると言って、日本の若い人々に笑いの対象にされるようになっている昨今と、それは同じ憂き目をたどることになるのだ。どだい、そのような平衡感を感じ取るセンスがない政治集団は大衆の反撃にあって力を失っていくしかないのである。21世紀の始まりは、すでに精神の面でも、そんな時代に突入しているのだから。

アジアの中の日本

世界の趨勢は中東地域も含めたアジア世界の精神的発展にかかっています。現在のアンチ・アメリカ派の議論はその視点がまったく欠落しています。そして日本人はこの問題に真剣に関心を寄せたことがありません。そして学者とそのエピゴーネンたちも抽象的に民主主義の批判はするようになりましたが(それなら自宅の椅子に深々と腰掛けたままできる楽な振る舞いです)、現実にイスラム世界を含めた東西アジアで起こっている体制の停滞状況を見て現実的な痛みを感じようとすることはありません。ですから、反資本主義の立場から抽象的に考察すると、「悪いのはいつもアメリカなんだ」ということになります。けれども彼らは資本主義が何なのか本当は説明することができません。実は彼らの大部分が真剣にこれらの問題と格闘したことがありません。彼らにとっては資本主義とは拝金主義思想でしかないからです。その前提から世界問題を議論し始めれば、結論を出すのに数秒とかからないでしょう。彼らは道徳の話がしたいだけなのです。しかしその道徳感情とはどこから出てきたものなのでしょうか。彼らが児童生徒の時も、彼らは学校の教師からたびたびそのように資本主義の悪口を聞かされてきました。大人になった今、ただその経験を思い出して安易な判断を行っているだけなのです。彼らは自分は社会主義者ではないというかもしれませんが、社会主義者と同じように経済問題を眺めているという自覚がまったくありません。

しかも日本人の多くが、現実のアジア世界はいまなお大部分が民主主義以前の政治体制のなかで近代化への苦闘を行っている最中なのだということを意識したことがありません。それは戦後の左傾的な空気のなかで、学者もマスコミも学校教師も、その「アジアの精神問題の存在」を子どもたちの前から隠してきた結果でもあります。例えば現在、中国の経済発展については何度も採り上げて、中国には経済特区というものが「ある」ということは学習しても、中国には国会というものは「ない」ということを子どもたちが学習することはありません。中国や北朝鮮やベトナムやミャンマーやその他アジアの発展途上の国々の「精神生活の現実」について、学校の教師たちは児童生徒の前で真剣な憂慮を表明するようなことはほとんどありません。ただ当たり障りのない記述がなされている教科書の単語を拾い上げて、それをテストして、「お前はアジアについてよく勉強している」と褒めたり「お前はアジアの理解が足りない」と不平をこぼしたりするだけなのです。

アジアには「国民の議会」の存在しない国、あるいはあっても形ばかりで議会政治が機能していない国、「言論の自由のない国」「信教の自由のない国」がたくさんあるのだということを、日本の子どもたちは知りません。学校の教科書にはそういうことは書かれません。教科書を子どもたちにあたえる執筆者たちは何をおもんぱかってか、日本人が使う教科書にも「中国には、国民の選挙によって選出された国会議員というものは存在しません。したがって中国には国会がありません」とは書かないのです。

教育現場でもそういった「現実問題」は教えてこなかったのです。だからアジア地域の前時代の遺風を温存し、その遺風の中に社会主義的体制を注入してアメリカと激突させようと思っている勢力にとって、日本人がこの問題を意識化できない状態のままでいることはまことに都合のいいことです。変わらなければならないのは、まず 「アジアの精神生活」なのだという「隠れた世界問題」が存在するということを、声をあげて語る知識人は日本にはほとんどいませんでした。

真の国力(民力)の向上は「国民の精神生活」が支えているのです。「新生した国民精神」なくして、ヨーロッパやアメリカと思想面・経済面でも競えるでしょうか。18~19世紀、東西のそれぞれの国民の精神生活の民力の上で圧倒的に負けていたからこそ、アジア世界は植民地化され、ヨーロッパ人に2等市民扱いされるという精神上の屈辱を受けてきたのです。アジアが経済的に貧しいのは「アジアの精神の貧しさ」(真に開かれた国民精神の不在)の結果にすぎません。

今もなお白人国家以外の民主的で開かれた豊かな国家は東西アジアのなかで日本以外に存在しません。近代、日本のみが突出してアジアを牽引してきたのです。中国がいまの日本と同じ立場で同じ時期に民主的な近代化を成功させていたら、21世紀のアジアはいまとはまったく異なった様相をしていたでしょう。しかし、まさにその中国こそがアジアの精神的停滞の最大の原因となって今日にいたっています。

戦後ずっとG5やG7に、いつもひとりだけ肌の異なった人種が登場してきたのを、日本の子どもたちはテレビニュースで見てきました。それが東西アジアが「世界に送り出した唯一の黄色人の代表者」でした。いま少しずつ、アジアニーズというような言葉が生まれ、日本以外にも、アジアは精神的にも経済的にも力をつけてきましたが、それでも日本が「国民の自由な精神活動」と「国民の自由な経済活動」の牽引力となっているという状況は変わりません。

日本の近代化の過程で、マルクス主義がヨーロッパを荒し回るようになる以前に、明治政府が西欧から「国民の自由な精神生活」と「自由な経済活動」という理念をいち早く導入できたのは天佑でした。アジア地域へのマルクス主義出現以後に、近代化を始めなければならなくなった、その他のアジアの民族は、「半世紀遅れた近代化」のために、おそろしい境涯に陥らねばならなくなり、いまその治療がずっと行われている最中なのです。

現在の日本と引き比べて、明治政府のやったことはあれこれと不十分だったと批判する人々もいます。実際現在の子どもたちが使っている社会科の教科書は歴史も公民もそのような批判に満ちています。しかし日本人の精神生活が「戦後」いきなり変わったわけではないのです。戦後はその深度が一段と深まったのでした。現在、道徳問題として先進国がみな一様に抱えている国民の精神の負の面は、あくまでも「精神の領域」として対峙されるべきものです。多くの人がこれを「経済システム」のせいだと深い考えもなく語ります。しかしその理由づけこそ戦前から社会主義者がやってきたことではなかったのでしょうか。「経済システムを変えれば国民が皆平等に幸せになれる」と。そして自分は道徳家だとうぬぼれていた人々は、この地上に恐るべきいびつな国家体制をもたらしました。これらの道徳問題について、今後、自分が現在自覚なしに依拠している意識の暗がりの中に置かれた前提に光をあてて、「そう判断する根拠の正しさの吟味からこそ新たに問い直そう」と、人々が本気で決意し、新しい思考態度で精神問題に対峙していかない限り、人々は「社会主義者の感情を結局後ろからなぞり続けるだけだ」という「現在日本で起きている精神状況」から一歩も前に進めないということになるでしょう。

国民の「自由な精神生活」という点で「日本に伍する国家」は東方アジアにも西方アジアにもいまだありません。けれども、そのような性格を持った国家は今後長い時間をかけて東西アジアにますます増えていくのです。彼らは新しい精神生活を獲得しようとしている最中です。日本はもっと自信をもってよいのです。そして大人たちが「こうすれば金持ちになれる」「お前たちの未来の資産が奪われようとしている」「お前はIQが低いから低所得層の下層民になるぞ、それでもいいのか」というようなことではなく、学校という場所でまるで心に響かない現実感の希薄な表象ばかりを多量に詰め込まれ、その意味もよくわからず試験されて疲れ果て、本当はもっと現実感のある生き生きした精神生活に深くかかわりたいと心の深部でたえず感じながら生きている現代の子どもたちに、アジアの中の日本について理想を語るべきなのです。

日本の子どもたちや若い人々はもはやかつての日本人のように欧米人に劣等感を持っていません。彼らは「強い自己意識をともなった魂」を持って、新しくこの日本という国に生まれてきました。戦後ずっと、密かな地下水流となって、弱い自己感情を持った自信なきインテリ人の脳髄を侵してきた陰謀論も人気を失っていくでしょう。彼らは今まで同様、今後も椅子から立ち上がることもなくあれこれと思考作業を続けながら本を書き、空疎な言葉の並べ替え作業に没頭するでしょうが、誰も彼らを敬意をもって見上げたりはしなくなるでしょう。「陰謀論という屈託する精神」は、そういう個々人の弱い自己感情(魂)のバイアスに影響されて生じた世界観、あるいは世界の感じ方でしょう。劣等感こそ猜疑心の生みの親だからです。ですから、今後ますます、日本の若い人の間から陰謀論は人気を失っていくのでしょう。未来に諸外国との軋轢がまったくなくなるというわけではありません。今後も国際問題はそのつど時の政府同士、双方の国民同士の具体的なイシューとして、アメリカ相手にもアジアの諸国相手にも起こるでしょう。けれども、新しい人は、かつての日本の若者たちのように屈託しないでしょう。そういう新しい人々が、日本とアジアの精神生活を前進させてくれる原動力になるのです。

ある西洋人の見た大東亜戦争

2001年9月11日のニューヨークのテロ事件直後、たくさんのテロ関連の書物が急に世間から注目を浴びる ようになったが、その書物群の中に、『テロリズム』という邦題名を持つ本がある。著者はブルース・ホフマンというイギリス人である。

この本が世界でどのくらい読まれたかは分からないが、英語圏は当然であるけれども、アジア地域においても日本以外の地域で翻訳紹介されているとすれば、この本は本来「テロリズム」について書 かれた本ではあるけれども、実はあのテロ事件を仲介役として、「日本の大東亜戦争」の意味を広 く人々に知らせる役割も担ってしまったのではないかと思われる。

日本人自身がブルース・ホフマン氏の言うようなことを現在の中国・韓国・北朝鮮に向かって主張 したとしたら、どんな状況が生じるだろうか? もちろん、われわれはその前例を知っている。だが、日本の戦争相手国に住む人物が、今このような発言をしても、アジアに住む人々は、誰もこの西洋人の発言に対して「われわれの心の痛みを無視した妄言だ。いますぐに撤回せよ」などとは言わないのである。

以下、ブルース・ホフマン氏によって世界の住人に再び示された「あの戦争の意味」あるいは「その解釈」について、その箇所を紹介する。


1942年2月15日、侵攻してきた日本軍がシンガポールを占領し、大英帝国は、帝国史上最悪の敗北を喫した。戦略的な価値はともかく、シンガポール陥落の真の意味を、当時の代表的な軍事戦略 家バジル・リデル・ハートはこう述べている。

「極東における西洋支配の輝かしい象徴であったシンガポール……1942年2月、そこを簡単に占領されたことで、アジアにおける大英帝国の、そしてヨーロッパの威光はこなごなになった。あとで奪 いかえしたが、その印象をぬぐいさることはできなかった。白人は、その魔術をくつがえされてしまい、支配力を失った。帝国も無敵ではないという認識が広まり、それに勇気づけられたアジア全土で、戦後、ヨーロッパの支配もしくは侵入に対する反乱が起きた。」

それどころか、その後数週間以内に、日本軍は、オランダ領東インド(インドネシア)およびビルマ(ミ ャンマー)も征服した。香港は、すでに前の年のクリスマスに降伏していたし、フランス領インドシナの 支配権は、日本軍が一年前に握っていた。そして、アメリカ軍が駐留していたフィリピンのコレヒドール島が、1942年5月、最終的に降伏したとき、日本の東南アジア征服----と、イギリス、フランス、 オランダ、そしてアメリカが当地で築いた帝国の破壊は----完了した。

 これらのできごとが長期的におよぼした影響ははかりしれなかった。ヨーロッパの支配国は無敵だと思いこんでいた現地の人々は、これ以降、以前の支配者をまったくちがった目で見るようになった。 巨大な大英帝国は決定的な一撃を受けたし、アメリカの占有する太平洋地域の平和および安全保 障協定もおなじく粉砕された。インドシナを蹂躙する日本軍にまったく歯の立たなかったフランスは、 ヴェトナム人が思い描いていた支配者としての威厳を大きく損ねた。インドネシアでは、日本はその 国の独立を約束し、まだ残っていたオランダへの忠誠心をうまく消し去った。戦前、ヨーロッパ列強は、アジア人は多様すぎて、彼ら自身では国を統治できないと主張していた。だが、日本が、自治を現地人の行政府にまかせ、名目上は独立させるという政策を取ったことで、列強の意見は一蹴された。反対に、現地人が抑留されたヨーロッパ人を支配し、下賤で骨の折れる作業をやらせた。だか ら、数年して戦争の流れが連合軍有利に変わっても、現地の人々が、ヨーロッパの帝国には二度と 支配されまいと決心したのも当然のことである。

独立と自決権を求めて声をあげたのは、衰退している植民地列強に統治されていたアジア人だけではなかった。列強の屈辱的な敗北はほかの人々の耳に刺激的に響き、ヨーロッパの----じっさいに は西洋の----権力と、強大な軍事力に対する神話に挑戦するものがあちこちで現れた。中東、アフ リカ、インド、地中海地域、北アフリカの原住民が、戦前の植民地体制に戻るのをおそれていらついていた。彼らは、自分でも気づかないうちに、第二次大戦初期に、民族独立と自決権を約束した連合軍の協定に期待していたのだ。1941年、アメリカがまだ参戦以前に,フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、ニューファンドランド島沖合の軍艦上でウィンストン・チャーチル英首相と会い、両国の戦後の目標を話しあった。その結果、大西洋憲章といわれる8項目からなる文書が作成された。歴史家トムソンによれば、憲章のおもな目的は、「西洋の大義の正しさをもって、敵側の考えを大きく動かす」ことにあったのだ。だが、その影響は、高慢な目標を遠く越えたところにおよんだのである。

大西洋憲章の第一項で、両国の戦争の目的は「富や勢力、領土その他」の取得ではないと、わざわざ確認している。ヨーロッパ列強にとって、将来的な問題の種となったのは、第二、第三項だ。第二項では、イギリスもアメリカも「関係する人々の自由な意志に反する領土の変更を……」望まないと はっきりうたい、第三項で、両国は、「すべての人々が、自分たちの政体を選ぶ権利を尊重する」とさ らに誓っている。これらの原則は、1942年1月1日にイギリスとアメリカが合意した「連合国宣言」に まとめられ、その後、ドイツと戦争状態にあったすべての政府が合意した。これで、彼らは、果たすつもりのなかった約束を果たさなければならなくなったのである。憲章調印一周年の記念日に、チャーチルは、最初の合意内容を修正し、制限をもうけようとした。憲章が適用されるのはアジアかアフリカ だけで、インドとパレスチナは関係ない。しかも、ドイツ、イタリア、日本に征服された国にかぎるというものだった。だが、すでに手遅れだった。植民地支配をつづけたいヨーロッパの植民地列強によって都合よく再定義された憲章には、だれも耳を貸さなかった。(ブルース・ホフマン『テロリズム』P59-P62)

前回のエントリー「大東亜戦争とは何だったのか」の内容とも関連させて読んでもらえれば幸いである。

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