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このblogは、HP「物部守屋の末裔 勝海舟の研究」の付設ページとして設けられました。
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資本主義の定義補足

実は前回のエントリーは「博士の独り言」という人気ブログへ出したコメントに触発されて書いたものでした。

「中共の廃棄場-七大河川はすべて重度の汚染」

http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-68.html

中国の公害問題です。私は以下のようなコメントを書き込ませていただきました。

法領域の問題

----公害は法領域すなわち国民の人権問題とリンクしている問題だと思います。「無節操な消費社会」という言い方はいささかステレオタイプな表現だと思います。消費社会とは大量の価値生産と移動が起きている社会のことで、たとえば大量生産で一番恩恵を被ってきたのは、実は庶民です。T型フォードの大量生産が始まったとき、それを買ったのは富裕層ではなく、それまで車なんぞとても高くて手が出せなかった所得層の人々です。大量生産方式の100円ショップがなくなると日本の庶民は嘆くでしょうが、もともとのお金持ちは、100円の茶碗でごはんをたべたりはしないでしょう。この方式がゆきづまると困るのは、実は金持ちではなくて庶民の方なんですよ。いつも人は抽象的に考えますが、経済発展の過程で、そのように人々の間の価値交換圧力が増すことが、雇用の増進と庶民の所得の増進にもつながりました。もし、「つつましくくらすべきだ」という道徳的要求をもった人物が政治改革を行って、産業を社会主義的に再編し、人々の間から物資の交換圧力を減らすと、それは「それまで価値ありとみなしてきた生産物」を「無価値なものとみなせ」ということと同じです。大量生産ラインの工場で働いて賃金を得てきた労働者は、もはや生産活動をする必要はありません。そして彼らは今度は大量の失業者という問題を抱え込むことになります。本当の資本主義はステレオタイプでひとなぞりしきれるものではありません。経済活動を一面的な道徳観から断罪するのではなく、この領域は本当に研究をはじめるとワンフレーズではかたずかないということを、大量生産方式の恩恵をこうむりつつ、道徳的に生きたいという要求もかなえたい庶民は考えるべきだと思いますが。----

そういうわけで、前回のエントリーは以上のコメントを発展させたものであります(一部改定)。自分なりにこういう問題をひとつの文章の形にすることができたので、博士のエントリーには大変感謝しております。

 

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