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操練会議

このblogは、HP「物部守屋の末裔 勝海舟の研究」の付設ページとして設けられました。
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帝国主義は終わっている

戦前、先頭を走っていたのがヨーロッパ人による帝国主義国家群で、これは、外地に植民地を持ち、 現地人を2等市民扱いしながら利益を収奪することで本家を栄えさせるシステムだった。ヨーロッパ人たちはまさしく自分たちの信奉してきた世界観こそが1度目の世界大戦をひき起こした原因だったことについて自覚できず、依然として第1次大戦以前の世界システムに拘泥し続けた。

今となっては、世界のどんな民主化された国家に住む住人にも共感できない感情だろうが、20世紀の前半まで----あなたには信じがたいことだろうが、たったの半世紀前である。大戦後、世界の近代国家の住人たちの国家意識はなんと変容してしまったことだろう。いまだ多くの人々が「そのこと」をしっかりと意識化できていない状況が今も続いているけれども、これはとんでもなく驚くべき「あの戦争の結果」なのだ----、各民族国家の成員は他民族の国家を戦争によって打ち負かすこと、そしてその結果、他民族の領土を戦争によって奪い取ることに狂気乱舞していた時代があるのである。

明治維新による日本の近代化以降少し時代をおいて日本の庶民もその当時のヨーロッパの庶民と同じ感情を共有するようになっていた。もしあなたが当時日本人として生きていたなら、あなたもその感情に抗えなかったかもしれないと一度じっくり考えてみるべ きである。「あなたが聖人君子であったはずなどまったくない」のである。

中世の時代精神から変容を遂げた近代ヨーロッパ人たちが、まったく自己の精神の有り様を互いに省みようとしなかったことが、2度目の世界大戦の土俵を用意することになったのである。ヨーロッパ人たちは最初の世界大戦であれほどの悲惨を経験しながらその精神態度を改めようとはしなかった。これはある意味でと りわけて才能のあるわけではないヨーロッパの諸国家内に住む市井の人々までが自己意識の目覚めを体験し始めた副作用だった。

ヨーロッパの人々は突然、自分たちは民族集団として「国家の一員」であり、自分たち民族が「国家の名」のもとに他国民・他民族に対して威勢を張ることは推奨されるべき振る舞いであると思 うようになったのである。近代に至ってヨーロッパの諸国民の「国家意識」は至高の価値となったのである。

ナチスを典型とするような民族の紐帯を強調する政治集団が生まれた。しかしそれはドイツに限らず、近代の前半に「近代国家による戦争」に明け暮れたヨーロッパ人たちが国民・民族の垣根を越えて共有するようになった、いわば「前期-近代人」独特の精神状態だったのである。彼らは互いに敵対し合いながら、その思考態度だけは「共有」し合ったのである。そしてこれは「近代的思惟の産物」でもあった。嘘だと思う なら、資料にあたって調べてみるといい。かつての王家の戦争は、決して民族・国家の名をかけた「国民同士の戦争」ではなかったということが分かるはずである。第1次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領が民族自決主義を唱え、その議論はおおいに世界の諸国民に受け入れられた。しかしそうなるためには、近代に至って変容した人類の「新しい自我感情」の下支えが必要だったのである。

彼らがはてしなく「民族の価値」を言い募ったのは、実は彼らが「前期-近代人」に到達していたあかしなので ある。けれども彼らは自分たちが「伝統の子」だと錯覚している。そうではないのである。その感情は彼ら自身の「近代的精神作用の結果」なのである。だからそのような彼らが古代の精神、あるいは伝統意識を継承しているなどと思い込むとすれば、それはまったくの錯覚に基づいている。実際には彼らの政治的振る舞いは、長い人類の精神の発展変容史上において眺め直してみれば、「比較的最近になって獲得された近代思考」に基づいているにすぎないのだから。

結局2度目の世界大戦は起こるべくして起きなければならなかったのである。ヨーロッパ人たちの「改まらない精神生活こそ」がその戦いを招き寄せたのである。そして到来したその戦いこそがそれまでのヨーロッパ人たちの高慢をへし折ったが、これはヨーロッパ人だけでは達成できることではなかったのである。ヨーロッパ人はすでに自浄能力を失っていたからである。ヨーロッパ人は「近代出現以来の彼らの精神生活のツケ」を外部発注によって乗り切ろうとしたのだった。それが第2次世界大戦が持っている別の側面である。つまり自分たちが世界に持ち込んだ近代初発以来の世界観と世界支配体制を打破するためには、日本とアメリカが「彼らの用意した土俵」に上がって互いに喧嘩して、それまでの世界秩序を崩壊させてくれる必要があったのである。

あの大戦によって、近代社会の黎明期のなかから出現した「植民地経済=帝国主義経済」は自分自身の罪によって自己崩壊したが、一方で19世紀のある時期にひそかに、もうひとつの「他国の領土を独特の唯物論精神で染め上げたい」という、これまた別種の「領土と人民支配の野望」をもった勢力が「ヨーロッパ人の思考態度」の中から出現した。この理念はまたたくまに世界中に拡散した。

彼ら共産主義者たちは2度の大戦争によって、「古いタイプの帝国主義国家群」がまさしく「帝国主義がはらむ自己矛盾」によって自己崩壊したことを「世界中の目」から隠したのだ。この事実こそがいまだ認知されざる世界史の秘密なのである。

「おのれの支配権を世界に拡張する野望を持つ国家」を「帝国主義国家」と呼ぶならば、「みずからを世界全体に拡張し支配したいという野望」を持っていた共産主義者たちはまぎれもなく、「もうひとつの新しい帝国主義者の群れ」に違いなかった。古いタイプの帝国主義者たちは「地上の富の収奪」が目的だったが、これは見えやすいし行動も理解しやすい。しかし共産主義者という新しいタイ プの帝国主義者たちが支配したかったのは、「地上の富」ではなく「人間の精神生活」だった。そしてそうであったればこそ、本当は何が起きているのか国民にはその実態がにわかには理解できないまま現代にいたっているのである。

だからこそ「帝国主義打倒」という「インチキなスローガン」は、前世紀以来、人間社会の内部でもっとも現実感覚を失っていたインテリ層に巨大な影響力を行使することができたのである。左翼人が繰り出すさまざまなスローガンは、そのような知的な現代人の混乱した抽象観念に火をつけるための発火剤のようなものだった。「詐欺師」のことを英語でマッチスティックメン(matchstick men)というが、まさしく彼らは「政治的な詐欺師集団」だったのである。

彼らは、悪党が他人から悪党よばわりされる前に、指さす者たちを悪党集団にしたてあげて逆に責め立てるような----現代の北朝鮮の支配層の脳髄反応は、特に分かりやすいその典型である----運動にいそしんできた。それが「古い戦前の帝国主義国家群」の「大崩壊後の世界」で演じられてきた茶番劇である。彼らは「すでに崩壊して存在しないモノ」をあたかも存在するかのように学問的体裁まで用いた詐術によって世界の住人たちをだまし続けてきたのである。なぜなら、その真実が世間に知れたら、彼らは、学者として、また政党人として、今後も引き続き人々の間で「アメリカ帝国主義打倒」を言いつのることは、もはや不可能になってしまうからである。彼らは自分の今の立場を守るためにも今後も嘘をつき続けなければならない。

世界の統治問題に関して、いまなお多くの人が「世界は昔からずっと国家間の金の奪い合いで戦争しあっている」というような陰謀論を聞かされるのを好んでいる。しかしそのような妄想こそがまずインテリの脳内から払拭されない限り、世界が精神的に現実的な前進を果たすことはできないであろう。なぜなら本当は帝国主義は終わっているのだから。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

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