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操練会議

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一国資本主義の破綻

以下はビル・エモットが『20世紀の教訓から21世紀が見えてくる』のなかで「両大戦間の一国資本主義の破綻」と小見出しをつけてまとめている箇所の抜粋である。


----ナショナリズムと干渉の習慣、あるいは国益を守ろうとする習慣は国民性に深く染みこんでいるものだ。そのために20世紀のヨーロッパは当然ながら、ナショナリズムの危機と、それとともに生じる醜い人種差別の歴史として見られている。

20世紀および、その中で誕生したEUの起源は、ナショナリズムと戦争防止について、まったく異なる筋書きを物語ってもいる。そこで語られているのは「近隣窮乏化政策」、あるいは「世界を止めろ、俺は降りたいんだ」式の経済ナショナリズムの惨憺たる結果である。それが、EUの歴史で銘記しておくべき第二の側面だ。スターリンの「一国社会主義」は大失敗に終わった。だが、1914年から50年にかけて西欧諸国で試みられた一国資本主義も同じくらい無惨な結果に終わっている。-----

ここで、一度小さな解説を挿入しておきたい。経済領域は今や一国単位の「国内経済」から世界で一単位としての「世界経済」へと変貌した。経済は一個の人体へと変貌しているのに、個々の臓器(国家)に住む細胞(国民)のいくつかは、いまだに自分は臓器のみに属し、この臓器さえ守ればいいんだと錯覚している。だから、いきおいこんな発言が飛び出してくる。「今、おれたちの隣の腎臓がぶっこわれたら、漁夫の利を得るのは心臓だ。あいつはまたおれたちの大事な血液を独り占めしようとしている。それを許していいのか」・・・・・。血液が一箇所にたまって再び他の人体領域に送り出されなくなったら、人体全体が滅ぶ。「ある臓器が血液を独り占めにして充血状態になりたがっている。そのうち人体の血液はやつに全部独り占めされてオレたちの手元から消えてしまうぞ」と彼らはなぜいつも思い込んでいるのだろうか。個々の臓器に住む細胞の中には、相変わらず奇妙な妄想に耽っている者がいる。

引用を続ける。

----1914年以前から、ヨーロッパの国々はすでに保護貿易主義の色彩を強めており、フランスとドイツでは輸入品に高い関税を課していた。だが、1920年代と30年代になると、経済ナショナリズムはいっそう高まった。1918年以降、それを引き起こした直接の原因の一つは、新しい国が誕生----オーストリア-ハンガリー帝国が解体して三カ国になり、ロシアの国境地方から五カ国が新たに独立----し、それらの国々が新たな関税と新たな輸入割当と特別徴収税を導入して、他の国と、離脱したばかりの旧統合市場から自国を守ろうとしたことだ。別の原因として、ソビエト連邦の建国によって貿易に「思想上の障壁」が生じたこともあげられる。そればかりか、フランス、ドイツ、イギリスもまた自国に障壁を築いていた。

ヨーロッパの内部で膨れ上がった憎しみも、1918年のあとの負債と賠償から起こった金融不安とともに、こ うした措置をとらせるきっかけをつくった。また第1次世界大戦以後には、「自給自足が戦争に勝つためだけでなく生き残るためにも必要だ」という考えが生まれ、なかでも鉄鉱石や食糧などの基本的な資源を所 有し加工することが重視され、その後押しをした。しかし、外の世界もそれに一役買っていた。アメリカは1921年と22年に関税を引き上げ、ヨーロッパが戦費と再建費用の負債を返済するために物資を輸出する のを困難にした。1924年には議会が東欧と南欧およびアジアからの難民を締めだし、それによって長年 ヨーロッパの安全弁だったものが奪われた。よくあることだが、ヨーロッパでは中南米、カナダ、日本、オーストラリアのような低賃金の競争相手が新たに台頭してくることへの懸念が高まった。さらに止めを刺すよ うに、1930年にアメリカの平均関税がスムート・ホーリー関税法で59パーセントに引き上げられた。その結果、世界貿易は壊滅的なほど落ちこみ、大恐慌が激化した。

ヨーロッパ諸国はそれに応じてさまざまなかたちで孤立していった。イギリスとフランスとオランダはそれぞれの帝国内に引きこもり、関税を引き上げて帝国内部における貿易を優先し、戦時債は相互間のものもアメリカのものも債務不履行となった。ファシスト政権のイタリアは協調組合主義に路線を変更し、政府と手組んだ国営企業を優遇した。ナチス・ドイツは1930年代の不況によって最も大きな打撃を受け、兵器の製造に手を染め物々交換が行われた。

1914年から40年まで経済的ナショナリズムがつづいた結果、1957年に共同市場を制定するためのローマ条約がフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクによって調印されるころには、ヨーロッパの経済地図は奇妙なものになっていた。それはおよそ自然が描きそうににない地図だった。-----

『反米妄想』のジャン=フランソワ・ルヴェルは著書の中で 「過去に犯した危険な過ちを、再び繰り返してはならない。平価切り下げ、関税障壁の増大、為替管理などは、政府が経済活動を国境内に止めようとし、無駄に終わった例である。これらの政策が、景気停滞と戦争をひき起こした」 とルーズベルトの財務長官モーゲンソーの1944年の発言に言及している。

世界には190ほどの国家があるが、経済としての単位は「ひとつ」である。それが見えないまま議論を続けるなら、その人は「陰謀論を吹聴する方が気持ちがいい」ということになるだろう。そして、「そのように世界を眺める自分に安堵するだけ」であろう。そこでまた一発威勢のいい反米妄想をぶちかませるというものである。彼らはいったいいつまで「現実を見ずに、古い戦前からの思考サーキットをぐるぐるとまわり続ける」つもりだろうか。世界の前進を阻んでいるのは、実は彼らが見ている「外部」ばかりではないのであるが・・・・・。

ちなみにお前は親米派であろうと規定したがる人々に言いたい。私は社会生活のなかで、「この人は好き。この人は嫌い。だから私はこっちにつく、いや、あっちにつく」というような感情で仕事をしてきたことは一度もない。そのような子供じみた感情を持って仕事をする人々はいるかもしれない。あなたは普段どんな感情を持って他社と販売競争をし、苦手な同僚・上司・部下とプロジェクトを組んで働いているのだろうか。あなたも社会人なら「どういうタイプ」あるいは「どういう年齢層の人々」が特に「自分の感情を一番として自分の判断基準と行動原理としているか」思い出してもらいたい。「中学・高校の女子生徒集団の行動原理」などを思い出していただけると大変参考になるかと思われる。

右にいることを自称している人々のなかには「いや、感情ではない。思想としての反米だ」などと自己韜晦する者もいる。それは韜晦にすぎないのである。「思想としての反米主義者」なら共産主義者という正統派の人々がちゃんといる。戦後50年以上、彼らはそうやって旗幟を鮮明にして反米活動をやってきた。ならば、自称保守派は、隠れ共産主義者・社会主義者なのか。ある意味そうだ。彼らは経済理念(あるいは、そういう言葉があるとすれば経済情念)において国民が一番聞きたいことを最後まで国民から隠し通すつもりだ。そういう「ズルさ」をもって本気で国民にアピールできると思っているのだろうか。今後、さらに底が割れれば、彼らはますます国民から見放されていくしかない。

自分のことを振り返って、「確かに女子中学生集団の勢力争いっぽくて恥ずかしいところがある」と感じるところがあるならば、今までの思考習慣を変えて、あらたに思考を組み直すべきである。しかし「どうしても妄想を振り切ることができない」ならば、私はこれ以上言う気もない。それにそのような感情をあなたが密かに心に抱いていたとしても大勢に影響を与えることはないのだから。それはたとえばあなたがプロ野球でアンチ巨人軍だとしても、現実の勝敗に何の影響力もないのと同じである(個人的には私は阪神の方が好きだが)。

一方で世界は道化役も必要としている。人前でアメリカのことを「キライダ、キライダ、キライダ」とアニマル浜口のように叫んでみるのもいいだろう。だが、本人は真剣なつもりでも、何ごとも限度を越えるとそれは笑いに転化してしまう。それはちょうど、韓国の反日運動家のエキセントリックなデモンストレーションが、どこか日本のお笑い芸人の芸と同じような「笑いのにおい」を発散していると言って、日本の若い人々に笑いの対象にされるようになっている昨今と、それは同じ憂き目をたどることになるのだ。どだい、そのような平衡感を感じ取るセンスがない政治集団は大衆の反撃にあって力を失っていくしかないのである。21世紀の始まりは、すでに精神の面でも、そんな時代に突入しているのだから。

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