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操練会議

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映像・音楽系ブログ、バウンドヘッドblog

去年は開店休業状態だった音楽系サイト、バウンドヘッドですが、今年、暖かくなったら少しは何かできるかもしれません。

あちらでは、政治関係の記事は書いてませんが、しかしあすこで書いてきたことは、まさに私の生活圏と日常生活と直結している興味関心領域です。

私が小学生だった時分、一番好きだった科目が体育と図画工作でした。それは小学校入学から卒業までずっと変わりませんでした。最近の操練会議は教育問題関連のエントリーが多いですが、小学生時代の実際の私は「知育系の教科」はいつもオール3状態だったのであります。

でも描いたり、組み立てたり、とにかく手を使って何かを作るのが好きだったのでした。私は左利きだったので、鉛筆や絵筆はいつも左手に持って描いていました。でも文字は右手で書いていました。たとえば、絵を鉛筆で描いているときは左手で描き、その絵に吹き出しをつけたあと、その鉛筆を持ちかえて、その吹き出しのなかに右手でセリフを書いていたのです。文字については、なぜかこれだけは母に小学校に上がる前に直されたのでした。でもごはんは左手で食べてます。

でも高校にあがってからは芸術系科目は音楽・美術・書道の三つのうちからひとつ選択になっていたので、絵を描くのは好きだったにも関わらず、私は音楽を選択して、それ以来ほとんど左手を使って絵を描くこともなくなりました。(パソコンでネット生活をするようになって多少色彩デザインしたり線描したりするようにはなりましたが……、でもマウスは右手用にできているでしょう。だからパソコンで線を描くときは「右手」を今では使ってます。ああ、昔の左手感覚が懐かしいです。)

学力が落ちたという心配をする憂国家は多いですが、子どもの色彩感覚が落ちたとか、演奏能力が落ちたなどと心配する保守系あるいは革新系憂国家という者を私はまだ知りません。彼らはこういった能力----というよりセンス(感覚)というべきかもしれませんが----は「知力」とはまったく関係がないと思っているフシがあります。はたして「そう」なのでしょうか。

以下のコラム、たまたま見つけたものですが、相当に感服いたしました。教育関連記事をまずは読んでいただきたいですが、その他の記事も無類におもしろいのであります。皆様ぜひぜひお立ち寄りくださいませ。教育再生会議や教育再生機構のメンバーの「おしゃべり」はあまりにも紋切り型で面白くないということが、逆によく分かると思いますゆえ。兵頭二十八氏の「教育エネルギー無駄遣い論」(原題:「やはり高校は要らなかった」)に次いで2度目に私が面白いと思った教育言及記事です。

以下参照

Iwatamの何でもコラム 「ゆとり教育論その他」

http://iwatam-server.dyndns.org/column/index.html

こちらも再掲示 

兵頭二十八の放送形式「やはり高校は要らなかった」

http://sorceress.raindrop.jp/blog/2006/10/#a000736

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左右問題は経済思想と国家観で分けよ

現代人が近代の政治思想を扱うとき、いまだに正されていない問題がある。それは「右翼」「左翼」(あるいは「保守」「革新」)という呼称の扱い方についてである。左翼思想とは、一般的解釈では、共産主義あるいは社会主義という「経済体制」を理想とする人々の奉じる思想群のことである。

ところがたとえば、ナチスという政党である。ナチスの正式名称は、「国家社会主義ドイツ労働者党」(現在の東京書籍版の中学の歴史教科書には「国民社会主義ドイツ労働者党」と書いている)、つまり「社会主義」なのである。だが現在でも、世間はヨーロッパに「ナチスの亡霊」が現れると、それを右翼と呼ぶ。「自民族至上主義者」を右翼と呼び、「共産(社会)主義者」を左翼と呼ぶ。ソ連の建国の思想は、今となってみれば、現在、わずかばかりになった共産(社会)主義国家とは異質な理念が、全体を束ねるシツケ糸になっていた。すなわちソ連は「民族の紐帯」ではなく、全世界の労働者の団結を叫んで、世界革命思想の輸出に邁進したのだった。しかし、アジアには欧米列強の植民地から脱するという「特別条件」が労働者問題以前の問題として存在していたのである。

「右翼」とは「極端な自民族優先主義者」のことである。この感情は「経済思想に関係がない」。ベトナムはベトナム民族の独立戦争の支柱として共産主義の理念を用いた。だから民族主義者(右翼感情)がマルクス主義(左翼思想)を奉じてフランスからの独立を達成したのである。現在の中国も北朝鮮も同じである。右翼(感情)が左翼(経済思想)を選んで今日の全体主義的国家を建設したのである。

fuannteinoko01.jpg第二次世界大戦後に植民地支配から脱した国家群の大部分が、実は「社会主義思想を用いて独立の理念の代用品とした」という事実は、いまだ教科書にも書かれていない重大な事実である。多くの発展途上国が独立と近代化の過程で社会資本や生産手段の国有化、すなわち社会主義へと走ったのである。新しい独立政府にとって、国有化は、「自民族の独立と利益の優先化を国民に広く示すための示威行為」となった。だが現実の経済活動の成果としては、その試みはうまく行かなかったのである。依然として国は貧しいままだった。そして、そのようなアジアの発展途上国家群の試みの惨憺たる結果が、たとえば現在のアジア地域に「不安定の弧」が存在する発端のひとつになったのだということも、人々にちゃんと認識されているとは言えない。(外相の麻生太郎さんは「この問題」に気がついて発言をしている日本では数少ない政治家のひとりではないかと私は思っている。)

internetblackhole02.jpg南米やアフリカの発展途上国群もまた、アジアと同じ過ちをおかして今日に至っている。発展途上国家群は国名という看板におおぴらに「社会主義国」と掲げていなかっただけで、先進国地域に住んでいる人々が思っている以上に、実は「世界は(特にたくさんの発展途上国群が)社会主義化した」のである。21世紀の発展途上国に生きる人々は、今その過去の「選択」の反省の発端に立っているところである。(写真は「インターネット・ブラックホール」、国民のインターネット利用が制限されている地域としてネットに載った図である。「不安定の弧」と一致しているのが分かるだろう。)

日本の左翼(共産党や社会党など)はソ連製の思想によって活動を行った。ソ連は「民族主義的社会主義思想」ではなく「脱民族主義的社会主義思想」の輸出国だった。だからこそ日本の左翼は国内において「民族の伝統破壊活動」を熱心にやってきたのである。そしてそれに対して喧嘩をしかけてきたのが「民族の伝統再構築活動」を熱心に行う社会主義者たちであった。

アジアの大部分は、前時代の遺制のなごりや風習を濃厚に保ちながら、そもそも資本主義の発展にともなう「光と影」などというもの自体を経験することもなく(すなわち「ある種の新種の精神体験を経ずに)、西洋の植民地主義をまず克服しなければならない状況にあったが、日本にはすでに自前の資本家が多数育っており、劣悪環境で働く労働者も存在したがゆえに、ソ連製の思想を受け入れる素地がちゃんと存在していた。、だからこそヨーロッパ人がそうであったように、これほど絶大なる影響力を「日本人の精神生活」に行使してこれたのである。

しかし、天皇を崇拝し、大臣にテロをしかけた日本の海軍や陸軍の青年将校たちが、奉じていた経済思想はなんだっただろうか。彼らもまた「社会主義者」だったのである。

民族主義者であれ、脱民族主義者であれ、社会主義者の奉ずる思想の行き着く先は「国家至上主義による、歴史的国家の換骨奪胎、すなわち国家の全体主義化」であった。

だから、21世紀は民族主義者と社会主義思想が結びつくことに眼を光らせておかなければならない。誰かが自分のことを人前で「右翼」と呼ぼうが「左翼」と呼ぼうが、あるいは「保守」と呼ぼうが「革新」と呼ぼうが気をつけることである。それはすでにナチスとソ連の喧嘩(つまり社会主義者同士の喧嘩)のように歴史的に前例があるからである。現在世の中には「民族主義者系左翼」と「脱民族主義者系左翼」の二種類がいて、現在日本において、より巧妙に国民をだましているのは「民族主義者系左翼」の方である。

「どんな人物か知りたかったら経済思想を語ってもらえ」---- 「日本民族のために」だとか「日本民族が大好きだ」とかなんだとか言うような「大声の前振り」は「実は何一つ判断の材料にはなら ない」ということを(なぜならそのような「愛着感情」はわれわれにとって「あまりにも当然の感情」なのだから)、そろそろ彼ら「隠れ左翼たち」に思い知らせてやる時期が来ようとしているのだから。

渡部昇一氏の本から参考文献を引用しておきますので、どうぞ目を通してみてください。

近衛文麿の貴重な証言

ハイエクが昭和19年ごろに書いた『隷従への道』に始まり、晩年の講演に至るまで、繰り返し主張したことは、全体主義は右も左も要するに同じだということであった。ハイエクは元来、オーストリアで教えておられたが、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)に招聘され、そこの教壇に立たれた。第二次大戦中、あるいはその直前、随分沢山の学者がドイツからLSEなどに来ていたようである。ナチスから追われてきたということで、当時ナチスと対立していたイギリスの学界は、この人たちを大いに歓迎した。

しかし、ハイエク先生から見ると、ヒトラーから追われてきたという人たちは、ヒトラーと同じことを言った人たちと映って いたのである。それはどういうことかといえば、ヒトラーもいわゆる国家社会主義者(ナツィオナール・ゾツィアリスムス) であり、またヒトラーが喧嘩して叩き出した共産主義はインターナショナル・ソシアリズムであって、両方とも社会主義であった。

つまり両方ともに、社会主義という同じメニューで、同じお客様を争っていたわけである。例えて言えば、一和会と山口組が喧嘩しても、山口組と我々が喧嘩することはない。なぜなら、お客様が違うからである。ヒトラーが共産主義とあれだけ激しく戦ったということは、それはとりもなおさず同じお客様を取り合っていたからである……。平たく言えばそのようなことにハイエク先生は気付いた。それで、ヒトラーから追われてきただけでそういう人たちを歓迎するのは、 結局ヒトラーの学説を入れることと同じであるという趣旨のことを、繰り返して述べておられる。

この右も左も社会主義というものは、同じ全体主義(トータリタリアニズム)であるという認識は、日本の学界では戦後は絶対にタブーであった。恐らく、気付こうともしなかったのではないか。ただ私は体験的に戦争中の統制経済ということを知り、家業が廃止されたという体験から、どうも同じらしいと感じていた。ハイエクの意見を聞いたときは、自分の少年時代の素朴な体験が碩学によって裏づけられたような気がしたものである。戦後の日本の社会主義、あるいは共産主義を称賛する人に、「あなた方の言っていることは戦争中の新官僚たちが言っていたことと同じなんだよ」と言ったら、それこそ湯気を立てて怒るであろう。しかし、それは事実なのである。

戦前の新官僚と言われる人たちが目指したことも、やはりヒトラーが目指したことと同じであった。ヒトラーは政権を取るや、すぐに授権法というものを通した。授権法というのは、議会の協賛を得ずに法律を通してもいいという権限を議会からもらうことである。それと同じようなことを、日本の高級官僚もどんどんやり始めていた。それで議会が邪魔にな り、政党も邪魔になるからと、政党まで解散してもらった。小学校を国民学校にすることも、統制経済というのもヒトラーの真似であった。以前、社会主義者として弾圧された人たちも、戦争が始まったころの政府から、喜んで迎えられ た。なぜかといえば、それは社会主義者だったからである。

このことについて、ハイエクはロンドンで昭和19年ごろに気がついて本を書きつつあった。日本では近衛文麿が最晩年に気がつき、昭和20年の2月、硫黄島の戦いのころに、いわゆる近衛上奏文というものを天皇に捧呈している。そ の中でこういう趣旨のことを言っている。

「元来、左と右は違うものだと自分は思っていた。ところが、その後ずっと見ていると、右翼と言ってもよし、左翼といってもよし、全く同じであることに気がついた。これは当然、私がもっと早く気がつくべきところ、まことに申し訳ない」

こう言って、天皇にお詫びを言っている。近衛さんは左翼と右翼は別だと思っていた。ところが、同じものだったことに、段々気がついてくる。当時の青年将校たち、あるいは新官僚たちが目指したことは、天皇というものだけで、あとは共産主義に限りなく近い政権、国家を作ろうということであった。左翼も右翼も同じという近衛さんの上奏文は、ハイエクを体験的に裏づけた貴重な証言なのである。『逆説の時代』(P94-P97) 

渡部氏の引用文も含めて、以上のような観点から、現在「保守」を掲げて政府、大学、マスコミ、ネット等で言論活動している人物(大学教授や作家なども含めて)を観察の対象にしてみるとよい。

日本の右翼(民族主義者)は左翼なのであるから。そして現在海の向こう側にいる政治集団を裏返せば、北朝鮮や中国の主流派(つまり左翼)は右翼(民族主義者)ということになる。まことに合わせ鏡に映る像のように、右翼は左翼、左翼は右翼なのであった。

必要なのは、教育の再生ではない、変容である

教育再生会議が「教育の再生」のために出した提言をみて、「これが本当に〈有識者たち〉が真剣に考えた結論なのだろうか」と愕然としました。昨今行政の税金の無駄遣い問題がマスコミでうるさいですが、この会議にかけた税金も無駄遣いでしかなかったと国民の多くが思ったことでしょう。

「自分たち自身の思考方法の変更」をせまるような根本的な自己批判は皆無でした。10年たっても、子どもの問題行動は減らないでしょう。

教育観と教育行為が「自動化」「ロボット化」してしまっていることこそが最大の問題なんだということが自覚できない人びとによって、「そんな結論なら小学校の学級会でも子どもが言うことができる」と言いたくなるような結論しか出てこない状況を見ると、未来の日本人の精神生活の荒廃はさらにおそるべきものになるに違いないという予感に襲われます。

私の問題意識は、現在「大声で」教育問題について語る人びとの問題意識と重なるところがありません。そのような人びとと「何が問題なのか」という意識感覚がズレてしまっている以上、今後も「大声で語られる演説会に集まっている人びとの後頭部」を眺めながら、ほそぼそと「そんな思考態度でいいのか」と彼らに向かって後ろから小さな声で話し続けるしかありません。

P.S.

前回のエントリー国家の教育制度下のソフィスト的な処世術問題に補足記述を追加いたしました。追補版を未読の方はどうぞ。他の教育関連記事も合わせてどうぞ。

国家の教育制度下のソフィスト的な処世術問題

外面ばかりを見て、同じようにそこ(外面)から大問題とみなしている事象の原因を探す。どこの国も振る舞いは似たようなもんです。教育基本法改正の本質は日教組思想とそれに呼応する教師たちの学内学外での常軌を逸した「政治的振る舞い」を掣肘するための法律であって----ですから、それはもともと教育の政治利用という異常化した教育現場状況に対して注入された濃縮された劇薬であり、本来はそのような「愛着」に関わるような「精神的なもの」は、人々が普段そうとは意識化せずに呼吸している空気のように、穏やかに穏当なレベルにまで蒸気化されて、人々の内面にのみ生きている現実的感覚として保持されるべき体のものです。ですから、「新条文」は「教師という大人たち」の腕めがけてニードルで注入される薬であって、実はまったく子どもたちへ向けてのものではありません。もともと教師たちが、常識的感覚を持ち、子どもたちの前で彼らの模範たりうるような良き人間として振る舞えてきたなら「あえて条文化する必要のない言葉」だったのですから----、ですから、条文化によって「その愛着精神が子供に内面化される」などというような都合のいいことにはならないでしょう。そもそも教師がはっきりと子どもたちの前で明言しなくとも、その教師の普段の言動から「彼の社会観国家観が穏当なものであるかどうか」を子どもたちは感じ取るものだからです。実際には、「言葉そのもの」からではなく、子どもたちに尊敬されている教師の人格が回り道をして、子どもたちを道徳的にするのですから。むしろ知的で利口で----ということは学習上の模倣能力の高い----教師の覚えめでたい生徒たちの中からこそ、教師の「政治的な言葉そのもの」と自己同一化する、将来の左翼人候補が生み出されてきたのでした。戦後、左翼思想家に変貌したたくさんの学校教師たちから「そのような利口な子ども」がたくさん生み出されました。そしてそのような「偏差値の高い利口な子ども」が成人したのちに、今度はそのような教師たちの「精神の振る舞い」を「模倣」し、社会という共同体を害してきたという「事実」を再度みなさんも確認されるべきです。「一面的に学力のある人間」が児童生徒の教師になり、あるいは大学の教師になり、社会を害してきたのだという事実をです。

法律の「字面」を変えるだけで、子供の精神が変わるなどと本気で思っているなら、あまりにも安易な考え方です。その時々の人々の「社会思想」というのは、それが政治化して教育現場にまで進入し、人々をひっぱろうとしはじめると、はなはだ迷惑なもんです。「国あるいは行政機構に自分の子供の教育の基本理念を任せる(まる投げする)ことは正しいことか」という発想が出てくることがないのが、いまだに人々が意識的に近づこうとすることのない「本当の教育問題」です。国民によって国家に「まる投げ」されているものとは、法律に基づいた学校制度や予定調和的な解答能力を試す現在のような試験制度を含めた、すでに慣習化してしまっている人々の教育に対する思考態度です。「出来上がったルール」のなかで「いかにうまく立ち回るか」というのを教えるのが、予備校、学習塾を始めとする民間の教育施設です(公文や進研ゼミのテレビCMを思い出してください)。現在のような制度と体制と人々の「勉強とはそのようなものだという教育観」が厳然として下支えをしてくれているおかげで、そのような「産業」は成立することができるのですから。近代化以後、ある時間を経て、結果的には西洋の近代教育思想から「システムとしてのみ抽出され」----この極東地域の人びとによれば、彼らはそれを、なんと「教育」と呼んでいるのですが、----日本人の教育感覚は、いまや西洋の「それ」とは----また近代化前の江戸時代の日本の親たちの、自分の子どもへの「教育配慮感覚」とも----まったく別物に変貌を遂げました。現代日本人は(また現代中国人も現代韓国人も)近代式教育を発明した本来の西洋の人びとの振る舞い方とはまるで異なった、実は皆自分が何をやっているのか、皆目見当もつかないような、奇妙な「解答技術」の「洗練化」へと、方向をシフトして現在に至っているのです。欧米諸国には日本や韓国や中国のような、受験産業は存在しないということは皆さんもご存じでしょう。したがって、たえずある種の思想系の人びとから経済的あるいはそれに基づく道徳的悪態をつかれているあのアメリカも、その種の人びとが恐れていた金融問題のようには、つまり「新しい市場」を求めての「外資の日本への受験産業の参入」なんぞというような振る舞いには、ついぞ出ることもないでしょう。さらに言えば西洋・東洋と言っても、アジア地域のなかでも、「この奇妙な教育感覚」は、かつて儒教・漢字文化を共有していた極東人たちが、その振る舞いの奇矯さにおいて、他のアジア諸国と比べても突出しているということも、皆さん、よくよくかみしめてみるべき事実です。

「学力とは何か」という問いかけが、いっこうに出てこないまま、奇妙な学力論争が引き続き行われています。彼らが憂えている「学力低下」とは結局「受験能力の低下」ということでしょう。世間が学力低下を憂えているのを耳にしてひとしきり他人の前で学力問題を憂えてみせる肝心の親の方に「自分の子どもには学習によって何ができるようになり、何を覚えてもらいたいですか」「そのような知識や能力は、どんな年齢の時期に、どのような方法で身につけさせたいですか」とたずねてみましょう。彼らには何も答えられません。せいぜい「そうですねえ、社会生活で必要な漢字が読めて、生活で困らない計算能力を身につけてもらって、それから、ええっとですね.....」、それ以上は答えることができないでしょう。現代の親は「そんなこと」を(何を、いつ、どのように教えるのか」ということに関して)、体系的に系統だてて真剣に考えたことは、実は一度もないからです。「どれくらいたくさん覚えられたか」を競うことが「テスト」なら、「ポケモンの数百匹のキャラ」を覚えさせ、「説明する能力」があるかでも、子どもの「学習能力の範囲や限度」は「確認できる」でしょう。なぜそうしないのです。

結局、保護者たちは(もちろん教師も)、示される数値には関心を見せても、行われている教育の中身自体には関心がありません。教師の方と言えば、「何をどのように教えればよいか」について、国から示された通りに、かつて自分たちが児童生徒だった頃の、自分たちの先生の振る舞いを思い出して、「その振る舞い方」を模倣して教育行為だとみなしているのです。確かに見た目には「教師のように」見えます。教師は「今この時期(年齢時)に、なぜこの知識(解法)を子どもが身につける必要があるか」について「その根拠を本気で感じる」ことはありません。「そんなこと」は、彼らも大学で習ったことがないからです。近代教育現場には、本当の「子どもの成長の衛生学と心理学」が存在しないからです。「子どもについての専門家」であるべき人びとが実は、「子どもの成長の法則」について何も知らずに教育学部を出、他の大学で教職過程の単位をとって卒業していきます。大学の先生方も、だれも教えてくれません。(もちろん知らないからです。)

「ある具体的目的」のために、「その教育行為」が、「本当に必要な知識・能力」を子どもたちにもたらすなら、テストをして番数を出すことばかりに関心を見せるのではなく、「なぜお前はそんなに馬鹿なんだ」と子どもをなじる前に、「国民から委託された教育行為を貫徹する」ことこそが第一に教師が心の土台にすえておくべき心構えでしょう。自動車教習所の指導教官たちは、お金を払ってやってくる受講者に、彼ら教官たちが必要だと考えている技能と知識の水準をちゃんと受講者たちにクリアさせて自動車学校を卒業させているではないですか。しかし、義務教育がやってきたことはそれとはまったく別のことです。 行政側は、国民に税金を払わせて、彼らの子どもを法律の名もとに強制的に一箇所に集め、まるでひよこの選別をするように、選別システムにかけてきました。そして、選別するときに利用するものが、自分自身の「具体的な身体活動」を通して「生を実感して生きているはず」の、「自分がこれからそこに加わることになるはずの大人たちの生きる現実の世界」を「敬意を持って理解したい」と思っている子どもたちの魂の要求とはまるで関連性を感じさせてくれない「無意味な表象」に満ちた紙の上で踊っているさまざまな問題群です。

しかし「現在のような教育システム」では、現代の教師たちは、子どもたちのそのような潜在的な要求に答えることのできるようなカリキュラムも教授法も持ち合わせてはいないのです。そして旧来の方法を踏襲して、ただ規定時間授業をして規定通りのペーパーテストを形式的に繰り返します。そして成績が悪いと教師は嘆きます。けれどもそのような教師たちが、「できないのはお前が勉強しないからだ」、といって、それ以上学力不足の子どもに介入しないのは、本当は教師の側の責任逃れであり、怠慢ではないでしょうか。しかし、教師がそのように振る舞えないのは、教師の側に「動機」が欠落しているからです。医者は「治す」ために「テスト(検査)」をしますが、それはそのテスト(データ)結果をもとに患者に「どういう対処をすればよいか」を見つける手がかりにするためです。しかし「現在の〈義務教育制度〉下における検査(テスト)の扱い」は「それとはまったく異なった目的」のために使用されます(小学校教育は基本的に定期テスト式の順位を出しませんからまだ医者的なアプローチを教師たちはおこなっています。それが中学へ上がると変化します)。中学になって行われるようになる現在の定期テスト方式は、「未来の高校進学振り分けの資料とする目的で子どもを分けるためにおこなっている」のですから、「差が出ないテスト」ではいけないからです。差が出ると教師はむしろ安心します。けれどもその教師はなぜいまこういう授業を行っているのか、その根拠を示すことができません。教えるべきことは国家から「自動的」に示され、教員採用試験に通って教師になった人びとは、それを「履行すればいい」のですから。今、教師が行っていることは、彼らにとって、すべて「前々から受け継がれた自動行為の反復」にすぎません。教育行政の側も「本質的なこと」は何ひとつ示せません。ものすごい受験競争を経て、官僚になり、教育行政を立案している人びとも「〈教える根拠〉という習ったことのないことは分からない」のです。彼らが官僚採用試験に合格したのは、「習ったことを正確に反復できることを、採用試験時に試験官に対してみごとに披瀝できたから」です。教師の側が「自らの精神活動それ自体の内部」から「その教育行為の根拠」をはっきりと把握できていたなら、「今この子にこのような知識と能力を身につけさせることに失敗したら、私はこの子の未来をだいなしにすることになるのだ」と感じ、身震いさえするはずです。しかし、現在の日本の教育行政も「根拠を示すこと」ができません。「そのような精神がある」ということを、誰も意識したことがないからです。したがって教育行政担当者にも教師の側にも、自分たちがこれから子どもに行おうとしていることを前にして、そのことによってこれから子どもが担わされることになる運命に思いをはせ、身震いし、「責任感」が内面からおのずと沸きだすというようなこともないのです。

ですから、国家国民総ぐるみで、実はそのような「ソフィスト的な処世術」----外面では昨今の子どもたちの不徳を嘆きながら、実際には内面構造的に子どもたちに強いている思考態度とは、そのように「きわめて子どもの利己主義に訴えかける傾向を有する精神」です----を子どもたちが身につけられるかどうかの「競争」を行っているに過ぎないのです。教育思想の現状維持、あるいは教育システムと人々の教育観の外枠部分(基本構造)はまったく変化しないまま、明治の学制導入以来ずっと続いてきた、そのような近代的教育体制への懐古趣味から、そのような現状維持的な教育感覚を持った大人たちの、自覚できない精神構造が、結局子どもを不徳の荒野へと追い込んでいるのではないでしょうか。子ども時代からずっと「受験者としての利口者で通ってきた人々」こそが、「利口者ゆえに紙の上の試験で比較的楽をして社会人化した体験を持っているゆえ」に、自分たちが経てきてクリアしてきた教育システムの温存派になっているという状況もあるでしょう。自分が他の仲間に比して楽々とクリアしてきた成功体験が、かえって教育状況全体の見通し感覚をゆがませているということもあるでしょう。そのような人々の口から出てくる言葉によって支持されている今までの教育体制は、子どもたちを決して「精神化する」ことはないでしょう。親や教師、あるいは世間一般の大人の口から出る道徳的な言葉が、子どもたちの身体に入って内面化され、「道徳的に血肉化する」ことができなくなった時代に突入しているということが彼らには感受できないのですから。本質は説教として子どもたちの面前で繰り出される言葉にあるのではなく----法律上の条文の明文化ではさらになく----現代の、直接間接を問わず、子どもの保護者として生きているはずの大人たちの、教育本能の衰弱化にあるのですから。

近代初期に西欧世界で導入され、日本も国家の近代化にあたってそれをまね、義務教育という国家主導の公教育制度の存在そのものを、制度導入以後、その存立の仕方を自動車のギア・ポジションが上がっていくようにさらに高度に自動化するままにほっておき、一度も現代のように「そのような教育の仕方によって硬化症化していく精神のあり方そのもの」を疑ってみることのなかった精神、近代精神の出現とともに諸国民の間で「そうであるべきもの」として共有されるようになっていき、現代にまで受け継がれることになった「国家によって与えられ認証され管理される教育こそ教育」という「私たちの自動化した思考態度」こそが問題なのではないかと、疑ってみる機会が今後あるかどうかが、ほかならぬ「近代発の教育構造によって腐敗化していく人間精神」の救出につながっていくだろうと思いますよ。

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「保守」という言葉を利用する社会主義者たち

今月11月号の『諸君』における西尾幹二や佐伯啓思の発言により、私のかねてよりの「暗示」----彼らは現在にいたるまでずっと「その事実」を隠し続けて来たが、「日本の伝統保守を掲げる自称保守派の大部分」が漠然とよりかかっている経済思想が、実はただの旧来の社会主義思想にすぎないという事実----が、とうとうはっきりと人々の目に見えるものとなって「析出化」した。どうか「漠然とよりかかっている」という表現を重視していただきたい。彼らの経済感覚は、左翼人によって戦後大喧伝されてきた陰謀論に一喜一憂する左傾化した一般読書界の経済感情と大差がないのであるから----彼らは対談の末尾で「もっと左翼リベラルにがんばってもらいたい」などと檄を飛ばしている。

佐伯啓思も偽装保守にすぎないただの社会主義者である。そうであればこそ、彼らのいままでの激烈なアメリカ批判も納得できるのである。それは----つまり「おのれが捧持する経済思想」によって社会主義者的立場からアメリカの経済体制を批判するというのは----もともと「左翼人のオハコであった」のだから。彼らは、自分のよって立つ経済思想の旗幟を鮮明にすることなく、それ(アメリカたたき)を、おのれの感情生活に内在している社会主義思想の影を世間の人々に悟られないようにと隠しながらやってきたにすぎない卑怯者たちである。

だから彼らは、「本来の左翼人」よりももっと卑怯な人々である。本来の社会主義者はアメリカをたたくとき、自分の経済思想の立場を隠さない。いやそういう思想に依っているがゆえにアメリカをたたくことをはっきりさせてきたではないか。だが日本の自称保守派は、「保守」は「思想」ではなく、「生活」である、と言う。だが、それはごまかしにすぎない。彼らには「自前で明確に語ることのできる理念がひとつもない」「実は何ひとつ自前の思想を人々の前に用意できない」という現実を、そのような言い方でごまかしてきたにすぎない。にもかかわらず、彼らは「理念を提示できない思想家」として、いままで一定の人々から敬意の念を向けられてきた。彼らはこれからも何ひとつ、現代の混迷状況を改善へと導きうる「彼ら独自の理念」を披瀝することはできないだろう。彼らのやってきたことは民主主義批判にしろ自由平等批判にしろ、昔ヨーロッパの知識人たちがやってきたことの「日本への輸入」でしかないのだから。彼らは実際には「ヨーロッパ思想の輸入代理人」でしかない。そういう振る舞いをすることを明治の良識派はかつて、「西洋かぶれ」と批判してきたのではなかったのか。西洋かぶれが西洋かぶれを批判するとは、なんという喜劇だ。だが彼らには「自分たちが喜劇を演じている」という自覚がない。彼らは「自称伝統主義者」なのだから。

彼らの振る舞いは、ちょうどヨーロッパの社会主義者たちが、戦前戦後を通じて、激烈なアメリカ批判をしつづけてきたこととパラレルな関係になっているにすぎない。ヨーロッパにもいまなお卑怯な社会主義者がたくさんいるからである。

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