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操練会議

このblogは、HP「物部守屋の末裔 勝海舟の研究」の付設ページとして設けられました。
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大東亜戦争とは何だったのか

人類は近代という時代の発展の中で「私」というものを強く感じる意識的な自我を獲得してきましたが、一方でまさしくこの新しい自我、ともすればあまりに自分自身を感じすぎる自我が亜種を生み出しました。今でも左傾的思考に親和力を持っている感じやすい人は----知的で利口な人が多いようです----、自分自身の感じすぎる自我のその腫れ物に触るような痛みの原因を自分の外に「自我を抑圧する外部圧力」として抽象化して感じることを好むようです。「そのような利己的な魂」を抱きながら、歴史的に彼らは国民の煽動者となって世界に散っていきました。新しい自我意識の獲得が始まった極東日本の若者たちの中にもひりひりする自我の原因を「自分の外部」 にみいだす一群が現れたのでした。その自我感覚、その情念は、子どものはしかのように、順次、世界を右回りで移動していきました。人類は誰でもその自我の病気を体験しなければなりません。そして今、その自我の病を、新たに西方アジアやアフリカの人々が体験している最中なのです。 以下の図は、その自我の病が世界をどのように移動しているかを描いたイメージ図です。

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アメリカは近代前半のヨーロッパの混乱を静める助太刀人としてヨーロッパ戦線に参戦する口実を得るためにも日本と激突する必要が、すなわち日本に喧嘩をふっかけてもらう必要がありました。日本がヨーロッパを荒し回るドイツの同盟国だったからです。しかし一方で、日本がアジア地域に軍事的に侵攻し、 長年に渡るヨーロッパ人による植民地支配の根っこを叩き潰すことができるようなきっかけを得るためにも、日本自身もまたアメリカに喧嘩をふっかけてもらわなければならなかったのです。(左翼系の人はこういう語り方をすると、「日本がそんな意図を持っていたなんて嘘だ」と反論します。けれどもそのような人も、近代の精神分析学が提示する、人間の日常的自己意識には説明不能な行動を促す無意識領域からの働きかけの存在なら、不思議なことに認めるのです。顕在意識が認識できていないことを人間というものは行うことがある、ということを認める人々が、歴史の地下水脈の存在を承認できないのは、実に奇妙な矛盾でありましょう。)

日本はアジアにヨーロッパ産の光の面たる「自己に根ざした新しい精神生活」という種を蒔くために、破竹の勢いでもって地ならしを行いました。日本が地ならし役だったというのは、日本自身にはアジアに広く蒔くことのできる自前で調達できる近代精神、新しい自我精神の持ち合わせはなかったからです。日本は地ならしが済んだら、その場からたち去らねばなりませんでした。あるいは日本は小麦粉を水でこね回し、その固まりをまな板にたたきつけるパン職人でした。けれどもイースト菌は自前では培養できなかったのです。そういうわけで、後から別の地域で培養されたイースト菌が、かつては栄光に満ち文明を築きながら、その時にはすでに古びて勢いを失っていたアジアに植え込まれることになったのです。

しかし、皮肉なことにヨーロッパから広くアジアというバン生地にもたらされたのは、よいイースト菌ばかりではありませんでした。よりアジアの大地を大きく膨らませたのは別種のヨーロッパ思想、全体主義 (共産主義)という毒の混入したパン種の方でした。その毒の混入によってアジアは今なお苦しんでいます。そのあとすぐに起こる新しい事態、すなわち、東西の思想戦を戦い抜く力は日本にはありませんでした。戦後、極東地域の新たな戦争たる思想戦の舞台はアメリカの意図に反して拡大してしまいました。アメリカは日本をアジア大陸から立ち去らせるために腰がたたないくらいにぶちのめしましたが、その肝心のアメリカ自体は、すでに日本が明治末期から極東地域において思想戦をロシアと戦い始めていた事実を後になって悟ったのです。大英帝国が威勢を張っていた戦前まで、おおらかでおおざっぱな性格のアメリカ人は初めのうち、ヨーロッパと極東地域に憂慮すべき新しい世界問題が出現したことを正しく理解できておりませんでした。ですから、アメリカはこの地域でヨーロッパの植民地国家の代理人として日本と戦争しましたが、日本と戦争して成功したことが新しい失敗にも繋がったことをあとで悟ったのでした。アメリカはアジアの植民地地域においてヨーロッパにとってじゃまな日本を叩きのめすという、ヨーロッパの利己主義の代理人として付き合わされましたが、そのすぐ後に、そのヨーロッパからアメリカという国家そのものの建国精神を崩壊させかねない思想戦をいどまれるようになります。その事態の変転は、ちょうど映画の映写技術のクロスフェードのようにひとつの事件ともうひとつの事件が折り重なって終わりながら始まったのです。

アメリカは日本の極東地域における精神戦を日本になりかわって引き受けることを決意します。それは自国の建国精神を守るためでもありました。そして今もなお日本の代わりに極東で戦い続けているのでした。もし歴史の歯車、歴史の組み合わせが異なっていたら、強力な戦力を保持し続けていた日本は独自にアジアの共産主義国家群を相手に戦争しなければならなかったことでしょう。現実にはベトナム戦争を戦った主体はアメリカでしたが、もしかしたらその主体は日本自身だった可能性もあったのだということを皆様もいま一度よく考えてみるべきです。

ヨーロッパ人による世界の植民地化という人種激突の要因は半世紀前の日米対決によって一掃されました。ヨーロッパはモンロー主義者だったアメリカを世界の用心棒にしたてあげました。ヨーロッパ人の愚かさが生み出した結果がアメリカの軍事力を必要としたからです。そして今もなお世界はアメリカの軍事力を必要としています。アメリカの軍事力は、世界がアメリカの血の苦労に報いたときに、すなわち、世界の全面的な精神解放と国際協調が達成されたとき----つまり東西アジア地域の真の民主化こそが求められているのです。またそうできなければアジアは真の霊的伝統をも発揮できないままでしょう----終わりを告げます。アメリカを変える一番効果的な道は、世界がアメリカの軍事力にたよる必要のない世界を自発的に築くことです。ですがこれは唯物論的ユートピア思想によって歪んだ世界像を抱きながら「帝国主義国家アメリカと敵対し続けるべきだ」と考える勢力には永遠に達成できない課題です。なぜなら、その場合は「彼らは何ひとつ自己変革する必要はない」のですから。結局彼ら自身こそが「永遠の闘争」のために「アメリカの軍事力」を必要としているのだという奇妙な逆説状態を維持することになるでしょう。左翼勢力こそがもっともアメリカを誇大視し、ある意味、全能の神のごとき対象に仕立て上げた張本人なのです。事実、左翼人はアメリカという国家を崇拝しきっています。しかしそれでは決して世界問題は解決しないのです。われわれ普通の自由主義社会に生きる人間たちは、彼らのまき散らす誇大妄想に付き合う必要はまったくありませ ん。現実感覚を取り戻せばいいだけなのです。決して学問にふけっている人のように抽象的に世界を眺めるべきではありません。

ここ500年に及ぶ世界史を改めて眺め直してみると、人種対決という「15世紀にアジアにまかれた種」の成長の帰結と、その500年後、思想対決という「20世紀初頭に新たに世界に蒔かれた種」の発展が、ほんの半世紀前のあの時代に折り重なっていたことが分かります。

ですから、半世紀前までの日本は、「始まりの時代を異にする、新旧二つの課題に極東アジアで対峙していた」ことになるのです。

むしろ「共産主義と敵対する」という、「もう一方の新しい課題」に対しては、日本はその危機感という点では、戦前のアメリカの先を行っていたのでした。この新しい世界問題の出現に関してアメリカは、日本と戦争するまで、まったく眠り込んでいたのです。

しかし、奇妙なことに、ヨーロッパ人がアジアに蒔いた「古い世界問題」は、南北戦争を終えて本格的にアジアに登場してきて、しかもアジア大陸にたいした利権をもたなかったアメリカと日本が、激突したことによって終焉させられました。

けれども、「20世紀初頭に新たに世界に蒔かれた種」はまだアジアでは根絶されてはおりません。今、極東アジアで、それを叩きのめそうと必死になって戦っているのは、かつてその恐ろしさを真剣に意識していた「帝国憲法下の日本」ではなく、「戦前の日本の意志」を現代日本になり代わって受け継いだ、「半世紀前の日本の敵」であり、「現在の日本の盟友たるアメリカ」なのです。

現在起こっている事態は、かつてのような「人種対決」ではなく「思想対決」における後半部なのです。「もはやわれわれの敵は人種(白人)ではない」にもかかわらず、日本国内では「世界情勢が戦前とまったく変わってしまっている」ということを少しも理解しようとしない人々が、奇妙な言論活動を行い続けているのが、私には不思議でなりませんが、とはいえ、現在にいたるまで日本を含め極東地域における左翼陣営の反米宣伝には激烈なものがありましたから、人々の世界感覚、世界の眺め方がそのような妄想的発想から容易に抜け出られないのは、ある意味仕方のないことかもしれません。またこれは人々が「地上の富の奪い合いと分配問題」という話題にしか関心を示せなくなってしまったという「もうひとつの隠れた近代精神問題」、人類の唯物論者ぶりが影を落としている問題でもあります。彼らは皆、それを語ることで「自分は道徳問題について語っているんだ」と錯覚しています。これもまた解決されなければならない世界問題ですが、さしあたってここでは話題に採り上げることはいたしません。

いずれ極東地域からも「ヨーロッパ産の全体主義思想を信奉する国家群」は消え去らざるをえなくなります。この点では「世界は後戻りすることはできない」という認識は、皆様とも共有できる認識でありましょう。
 
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真実から目をそむけるヨーロッパ

以下はジャン=フランソワ・ルヴェルが『反米妄想』の第1章「真実から目をそむけるヨーロッパ」の中で書いていた文章の抜粋である。

----私が知る限りでは、20世紀を暗黒の時代にしたのは、間違いなくヨーロッパである。ヨーロッパの政治とモラルのあり方が、二度に渡る世界大戦のような大混乱をひき起こしたのだ。この混乱は、史上最悪の犯罪的二政体(ヒトラーのナチズムとスターリンの共産主義)を実現させた。この悪と愚劣の頂点に、ヨーロッパ がたどりつくのに30年とはかからなかった。

二度の世界大戦とふたつの全体主義をひき起こしたのがヨーロッパの失策なら、第三世界に植民地化と いう後遺症を残し、発展途上国に行き詰まりや混乱を起こさせたのも、もとをただせばヨーロッパに責任が ある。イギリスやベルギー、スペイン、フランス、オランダ、これに遅れてやや小規模ながらドイツ、イタリア などのヨーロッパ諸国は、互いの領土を略奪しようと争った。そのヨーロッパが、アメリカのインディアン迫害や黒人の奴隷制などに反論しても説得力はない。当時、将来アメリカとなる土地を先住民から略 奪・占領したのも、植民地支配を行ったのも、ヨーロッパからの移住者ではなかったのか? さらに、彼らはヨ ーロッパの奴隷商人から奴隷を買っていたのではなかったか。----

引用は以上である。

要するに、ルヴェルは、「ヨーロッパ人は自分たちのやらかしたヘマの結果をアメリカになすりつける欺瞞の日々にいそしんだまま平然とすまし込んでいる」と言っているのである。

将来において世界に崩壊現象がひき起こされることがあるとするなら、そのような「現代のヨーロッパ精神」こそがその原因を作る役目をするだろう。

グローバリズムと貧困問題に関して、世界の住人たちがまだはっきりとつかんでいない事実がある。た とえば今アフリカ大陸を支配している政治的現実のことである。ルヴェルの発言をま た引用する。

----アフリカ諸国の経済を破壊し、発展への足枷となっているものは、市場主義より国家統制論、資本主義より社会主義が支配する現状である。アフリカ諸国のほとんどは、「ヨーロッパで学業を修めた少数のエリート」が政府の要職に就き、ソ連や中国のシステムを採用して国政を執っている。彼らは絶対的権力を我が物として、個人資産を増やす手段を 手中に収めた。彼らの狙いは、貧困層が空腹を満たすことではなく、「社会主義の産物である深刻な貧困化」を資本主義のせいにすることなのだ。

アフリカの特権階級による、ソ連や中国を真似たコルホーズ(集団農場)政策や、地方の寡頭政治による国際援助資金の恥知らずな浪費の他に、市民や国家間の絶え間ない戦争、宗教戦争、国家の消滅、部 族間の人種差別、民族大虐殺などが、アフリカ民族を貧困に陥れ力を奪った、主なそして唯一の説明である。

これらの国が機能しないのは、彼らが自由主義ではなく国家統制主義を、資本主義ではなく社会主義を 選択したからだ。そして、延々と続く内戦がアフリカ諸国全体を破壊に導いている。アフリカ諸国が破滅し かけているのは、経済的な要因よりも、政治的、思想的、部族的なそれによるところが大きい。----

あなたはテロリストを養成している西南アジアや中東やアフリカの国家群が「どんな政治体制を持った国家群か」調べたことがあるだろうか。その多くはヨーロッパで社会主義あるいは共産主義思想を学んだエリートたちによって運営された失敗した国家群なのである。

だがヨーロッパにしても日本にしてもそうだが、社会主義こそが最上の国家統治思想だと、いまなおそのような思考態度にシンパシーを感じている学者やマスコミ連はその肝心な部分だけはいつも伝えないままなのである。

そして彼ら自身の失敗を資本主義やあるいはアメリカという国家のせいにして責任逃れをしてきたのである。北朝鮮がアメリカを帝国主義と規定して、「自分たちの失敗を自国民には決して知らせない行為」とどこが違っているだろうか。「左傾人は自己反省しない」のが通り相場である。それは「世界のどこに行っても同じ精神」なのだから。

私はかねてよりイスラム戦士を名乗るテロリストの養成は、実はヨーロッパで「左翼思想」に刺激を受けて戻ってきたインテリたちによって行われているとずっと言い続けてきた。

また、イラクはイスラム教国家ではなく、カダフィ大佐の社会主義人民リビア同様、共産主義というヨーロッパ発の全体主義(あるいは武装革命)思想に国家の土台を置いている、だから今起こっていることを宗教対決なぞと思ってはいけない、そうではなく事実は共産主義者がイスラム教を武装闘争の隠れ蓑にしているのだ等の話をしてきた。そのような話を日本の識者が公に口にする場面なんぞ見たこともなかったが『反米妄想』ではその事実もちゃんと語ってくれている。以下引用する。

----アル・カイダの訓練基地で兵士に渡されるマニュアルが、イギリスで英訳されて出回っているが、そこには聖戦の原則や目的がはっきりと明記されている。これに引用されている哲学的記述を見れば、著者(複数)が無学な者ではなく、おそらく欧米で学業を積んだ者であろうことがわかる。彼らは西洋思想を心得た上でマニュアルを記している。例えば「我々が対決を訴える背信的なこれらの国家は、ソクラテスの対話やプラトン思想、アリストテレスの外交というものを無視している。一方この闘いは殺人や爆撃、破壊、大砲や機関銃の理想的な姿を知っている。我々に与えられた使命は、神を崇拝しない国家を打倒し、我らイスラム教国家がこれにとって代わることにある」。このマニュアルはほんの一例にすぎず、同様の出版物は枚挙にいとまがない。テロリストの頭の中ににあるのは、地上からあらゆる悪を撤廃し、善なるもの、つ まりイスラム教を代わりに据えるという目的だけである。

イラクはイスラム教国家とはいえない。なぜならこの国は基本的に無宗教主義であり、サダム・フセインは自国に住むシーア派教徒や北部のクルド人(ともにイスラム教徒)を平然と化学兵器で殺害できるからだ。 アメリカのことを許せないというイスラム教徒が、他のイスラム教徒が攻撃されるのを見て何ともないという のは不思議な話だ。----

今世界のすべての民族内部にいる混乱した魂の持ち主は、たえずヨーロッパ人の脳髄から生み出され た共産主義思想=全体主義=反米思想から戦いのヒントと動機を得ているのである。

もう少しルヴェルから引用してみよう。

----イスラム教徒の欺瞞のなかでも一番ひどいのは、テロリストたちがアメリカに対する敵対心を正当化したこ とである。かなり以前から今日に至るまで、アメリカは、イギリスやフランス、ロシアに比べ、できる限りイスラム教国家に干渉しない政策をとってきた。ヨーロッパの強国は、イスラム教国家を、何十年も、時には1世紀以上も、繰り返し征服し、侵略し、抑圧してきた。しかしアメリカがイスラム教国家を植民地化したことはない。アメリカ人が彼らに特別な敵対心を抱いたことはなかった。それどころか、ソマリアやボスニア、コソボに軍事介入したのも、マケドニア政府に圧力をかけたのも、少数派イスラム教徒を擁護するのが目的 であった。イスラエルが創立された歴史的背景には、ヨーロッパの反ユダヤ感情が大きく関与していたのであって、アメリカは無関係であったことも思い出してほしい。

テロリズムの唯一の原因が、経済の不均衡と世界中に散在する貧困であるとする理論は説得力に欠け る。テロリストの大半は、世界でも最も裕福なイスラム国家の、裕福な家庭の出身である。また「彼らの多 くは欧米の大学を卒業している」。この新しいハイパーテロリズムの本質的根源は、イスラム原理主義者 の作り上げた偏狭なイデオロギーである。-----

イスラム教徒という呼称に騙されてはいけない。今アラブ世界は全体主義思想に蹂躙されている最中である。イスラム原理主義者は全体主義思想の体現者という意味で、共産主義思想やナチズムと同根の心理状況を生きている。また彼らは「偏狭な道徳家」となって「他者の小さな道徳的瑕疵」さえ許容できなくなっている。連合赤軍を描いた映画『光の雨』を見るとよい。彼らがいかに他者を「自分たちの指導するように、正しく考え、感じることができない」という理由で道徳的に責めたて、「死の制裁」を加えてきたか。自己批判とは左翼人が用いた言葉である。彼らはそれを強要し、拒絶する者には死の制裁を加えてきた。「アフガニスタンの全体主義者」だったタリバンは同胞に対して「連合赤軍幹部」がやったのと同じ「道徳的要求」を行い、多くの同胞をみせしめに殺してきたのではなかったか。そしてビン・ラディンのアルカイダも「道徳的批判」を掲げながら、殺戮を繰り返すことに躊躇しない集団である。

彼らすべての脳髄には「同じ規格」の1本の穴が開いている。そしてその中を「一本の同じ太さの輪っか」 が通っている。その輪っかは「各々の脳髄の穴」を通り抜け、「円」を描いて結ばれあっているのである。そ の鍵束のようになった輪っかの端っこを、一体「どんなひとつ情念」が握っていて、その「鉄の輪」のようなものに 結ばれ合った者たちの頭を揺らしながらジャラジャラと音をたてているのか?よく見ると、その輪っかには「われら全体(社会)主義者を讃えよ」と書いてあることに、注意深い人は気がつくに違いない。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

アメリカはなぜ立ち去れないのか

日本の共産党・社民党を代表とする左翼政党、あるいは大陸・半島系の中国共産党、朝鮮労働党という社会主義・共産主義者たちにとってもっとも「あって欲しくないもの」こそ、日米の政治的軍事的蜜月行為である。そして、戦前戦後を通じてのマルクス主義的情念の極東地域への影響力の拡大につれ、彼らにとって、極東地域における日米の政治的理念的親和力の分断こそが自分たちの政治的理想(あるいは情念)実現の達成のために、もっとも力をいれるべき政治目標になったのだ。だからこそ日本の左翼人たちは「日本はアメリカの奴隷」「日本はアメリカの植民地」などというような、よく考えれば「よくもこれほど同胞を愚弄する言葉を吐けるものだ」と思うような言葉を同胞に向かって平気で吐けるのである。保守を自称する側にも同様の言説的振る舞いを行う勢力があるが、それは彼らが実際には社会主義的な経済感覚を土台にすえているからである。彼らは「自分たちのように感じない同胞は馬鹿だ」と思っている。彼らは「人間の振る舞いには必ず裏がある」と思いたがる。だから陰謀論をさまざまに空想するのが大好きな人々でもある。右自称であれ左自称であれ、彼らの精神上の本質は同類なのである。だがそもそも彼らがそのような言葉を吐くことによって間接的に同胞を愚弄してきたのは、なぜなのだろうか。

本当に正直になって考えてみてほしい。日常の暮らしの中で「アメリカの抑圧行為を実感している日本人」などほとんどいない。現代日本人はほんとに自分勝手に生きている。もしたとえばパレスチナ人たちのように日常が日々戦いで、「誰が自分たちの同胞を殺しているのか」----それは「抑圧」などという抽象的言葉でひとなぞりできるような暮らしではないだろう----日々実感しているなら、別段左翼人が大声を上げなくとも、人々は「自分たちは他国に押さえつけられている」とおのずから実感するのである。

まさしく普通の日本人の「現実の生活実感」がそうであるからこそ、そのような煽り言葉は自分のことを多少はものを考えることができると自惚れている人々にしか届かないのである。そういう人々は「世界は人間の抽象力によって組み立てられている」と錯覚したがる。彼らにとっては「世界の現実を抽象化して眺めなおすことこそ最も楽な振る舞い」だからである。そしてそのような抽象的な言葉を受け入れる能力のある、実際には自分の現実的な生活場面では夢のようにぼんやりと生活している「本読みたち」の多くが、それをただ知的に受け入れる行為を「現実的行為」と思い込んでいる。だがそれは実際には夢のなかでの行為のように全体像がぼやけているはずなのだが、彼らは「世界を認識するにはそれで十分だ」と思っている。

世界中にバラバラに散らばって生きている左翼人と、そうだという自覚はなくとも、彼らと世界感覚の情念を共有しているもっと多くのシンパたちにとって、アメリカという国家は神(のような存在)になってしまった。彼らはアメリカの力を崇拝しきっている。そしてそれを地面に引きずり落とそうとするのである。アメリカはマルクス・エンゲルスを淵源とする共産主義的世界観、共産主義的情念によって自動的に「理論上、敵であらねばならない存在」に祭り上げられたのである。

アメリカはなぜ極東にいすわり続けているのか?

あなたは「すぐに答える」ことができるだろうか。あなたが中学生や高校生だった頃、学校の社会科の左傾教師は教科書が戦後の安保条約の項目に来たときに、あなたに項目だけは暗記させながら、その肝心な意味をはっきりとは伝えなかったはずである。彼ら社会科教師は日本がアメリカと同盟を結んでいるのは「共産主義者が極東アジアの精神生活を蹂躙しているからだ」とは言わないのである。それよりもソ連、中共、北朝鮮、そして国内の共産主義者の主張を教室内で代弁する。ベトナム戦争のような例を挙げ、社会主義・共産主義国家との戦いにおいて、アメリカが世界中でどんなひどい仕打ちをしたかを強調してきたはずである。

共産主義者はこういうだろう。

アメリカはなぜ極東にいすわるのか。それは日本を含む極東アジアを軍事的覇権によって「支配する」ためだ と。だが、そうではないのである。しかしもし、あなたがそう思い込んで今日まで生きてきたなら、あなたは完全に「共産主義者の世界観で世界を眺めてきた」ことになる。アメリカはなぜ大戦後すぐに朝鮮戦争を行い、ソ連と冷戦に突入し、中共勢力と対峙し、共産ベトナム勢力と戦争をしたのか。それはまさしく、「全体主義思想の一分枝たる共産主義思想がアジアの精神と生活を支配しているから」なのである。それがアメリカ人の奉ずる近代精神と敵対してきたからである。それが彼らに国益に反すると感じさせたのである。だから逆の政治状況が出来すれば、すなわちアジアから全体主義的情念あるいは共産主義情念が一掃されれば、アメリカは日本や韓国に自国の軍隊を駐留させておく意味を失う。それはアメリカにとって不利益なことなのだろうか。

日本と異なり、彼らは大戦後、共産主義国家群との戦いでたくさんの自国の息子たちを失ってきた。しかしこの「反共という戦い」は本来、我が父祖たちがヨーロッパ人たちによるアジア地域の植民地化に対抗するという目的のもとに樹立した明治政府が、「その本来の目的」とは別個に、その世界問題の出現に気がついたところの、「もうひとつの日本の立ち向かわざるを得なかった新たな目的」であったことを、戦後の日本人は忘れてしまっているのである。幕末期から戦前までの日本には「二つの課題」があったということを誰も声を大にして子供たちに教えようとしてこなかったのが、これまでの戦後日本である。日本が戦前に治安維持法という法律を持たざる得なかった原因を現代の左傾教師たちは180度解釈を変えて子供たちに伝えている。歴史の組み合わせや結果が異なっていれば、アメリカ人ではなく、日本人自身が「大東亜共栄圏の自由経済活動を侵す反逆者」として共産ベトナム軍と戦争していたかもしれないのだと戦後の日本人は考えたことがあるだろうか。

アジアを混沌に陥れたヨーロッパ発の情念は新しいアジアの未来のために払拭されねばならない。またそうなれば、われわれとしても、アメリカという国家のこれまでの「血の苦労」をねぎらい、丁寧な挨拶とともに国内からのアメリカ軍の撤退を平和裡に進めることができるのである。もはや日本政府はアメリカ政府に対してはっきりとこう進言することができる、「極東アジアの精神生活は新局面に入りました。こういう状況ですから、もはや貴国の軍隊がわが国に駐留する意味を失いました。このようにして極東人の精神生活と政治状況に変化が生じた以上、軍事面においては今までとは別様の付き合い方になるのは必定かと存じます。新しい極東アジアの出現は貴国の国民による軍事負担を軽減できますし、そのことでまた今後はこころおきなく、アジア地域においてビジネス活動も展開できるでしょう。これは経済立国たるわが国にとっても願ってもないチャンスであります。戦前は互いに死闘を演じ、大戦後は互いに、ずいぶん共産主義者相手に苦労しました。これでようやくひとつの長い歴史の節目、新しい展望を内包した歴史の節目に到達できたと思います。今後も貴国とは親しくよいお付き合いを願いたいものです」と。 現在の状況が進展するかどうかは、「アジアに生きる人々の自覚と精神生活の変容」にかかっているのである。

以下の写真を見てもらいたい。

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日本共産党が日本全国に張っていたポスターである。 (2004年時点)

いつまで続ける
アメリカいいなり

安保をなくし
ほんとうの独立日本に

と書いてある。しかし、これは詐欺師の煽動文句なのである。アメリカが極東にいすわっているのは、「このような共産主義的世界観に立脚した政治煽動家たちによって極東全体が包囲されているから」なのである。いったいこんな不思議な茶番劇がまたとあるだろうか。「アメリカ軍駐留の原因になっているモノ」が「アメリカよ、ここから立ち去れ」と叫んでいるのである。

彼ら共産主義者の主張するように「アメリカ軍を極東から立ち去らせたい」なら、その「もっとも効果的な解決方法」は、そのように主張する彼ら自身が「極東から消えてしまうこと」なのである。だが彼らは「共産主義者なしの極東からのアメリカ軍撤退」などけっして容認できない事態だろう。

だが、これこそが左翼勢力が戦後一貫して「特別政治的に生きてきたわけではない----そんな必要もない----大部分の日本の普通人たちの目の前から隠し続けてきた極東問題の解決方法」なのである。

われわれは「極東からのアメリカ軍撤退後」の世界問題をも考えることができなければならない。なぜなら、いつになるか分からぬにしても中国共産党が倒れ朝鮮労働党が政権を失うのは必然事項だからである。中国の民も北朝鮮の民も、自分たちの選択意志で選んだのではない政党人たちによって自分たちの精神生活を支配されたいとは思っていないのだから。

中国人は民主主義を知らないのか。

そうではない。イギリス統治下だった香港はイギリス直伝の民主的な統治を体験しているのである。彼らは歴史的に実体験としてイギリス人に統治と自治の方法を訓練されてきた。香港人のなかの選良たちは実際にイギリス政府によって選抜されてイギリス本国に招かれ、自由主義精神下における統治とはいかなるものかを学び、香港統治のための訓練を受けてきたのである。実際に多くの一般の香港市民がイギリスの影響下に民主的な自治がいかなるものであるかを味わってきた歴史体験がある。人材はいるのである。また「中国共産党解体後の人材をどこからさがせばいいのか」、という質問もナンセンスである。かつて明治政府が敵側の徳川方から人材を拾いあつめたように、元中国共産党員の中にも人材がキラ星のように存在する。彼らの能力を「新しい中国」の統治に生かさない理 由はないのである。そしてそういう事態が出来すれば「極東の軍事問題」は相対的にその重要度を減少させざるを得ないのである。なぜならそうなれば、われわれは政治的-精神的にも経済的-物質的にも真の意味で共同することができ、ゆるやかな経済共同体をアジアに出現させることができる可能性を得るからである。だからこそ、新たに出来するであろう「未来の課題」のために、「今われわれが立ち向かい解決しなければならない政治問題-精神問題とはいったい何なのか」、極東アジアにおける「どんな政治的-精神的状況がそのような未来を阻んでいるのか」ということをよくよく思い出して、けっしてその大目標を忘れることがないように、しかと肝(ハラ)を決めておくべきなのである。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

帝国主義は終わっている

戦前、先頭を走っていたのがヨーロッパ人による帝国主義国家群で、これは、外地に植民地を持ち、 現地人を2等市民扱いしながら利益を収奪することで本家を栄えさせるシステムだった。ヨーロッパ人たちはまさしく自分たちの信奉してきた世界観こそが1度目の世界大戦をひき起こした原因だったことについて自覚できず、依然として第1次大戦以前の世界システムに拘泥し続けた。

今となっては、世界のどんな民主化された国家に住む住人にも共感できない感情だろうが、20世紀の前半まで----あなたには信じがたいことだろうが、たったの半世紀前である。大戦後、世界の近代国家の住人たちの国家意識はなんと変容してしまったことだろう。いまだ多くの人々が「そのこと」をしっかりと意識化できていない状況が今も続いているけれども、これはとんでもなく驚くべき「あの戦争の結果」なのだ----、各民族国家の成員は他民族の国家を戦争によって打ち負かすこと、そしてその結果、他民族の領土を戦争によって奪い取ることに狂気乱舞していた時代があるのである。

明治維新による日本の近代化以降少し時代をおいて日本の庶民もその当時のヨーロッパの庶民と同じ感情を共有するようになっていた。もしあなたが当時日本人として生きていたなら、あなたもその感情に抗えなかったかもしれないと一度じっくり考えてみるべ きである。「あなたが聖人君子であったはずなどまったくない」のである。

中世の時代精神から変容を遂げた近代ヨーロッパ人たちが、まったく自己の精神の有り様を互いに省みようとしなかったことが、2度目の世界大戦の土俵を用意することになったのである。ヨーロッパ人たちは最初の世界大戦であれほどの悲惨を経験しながらその精神態度を改めようとはしなかった。これはある意味でと りわけて才能のあるわけではないヨーロッパの諸国家内に住む市井の人々までが自己意識の目覚めを体験し始めた副作用だった。

ヨーロッパの人々は突然、自分たちは民族集団として「国家の一員」であり、自分たち民族が「国家の名」のもとに他国民・他民族に対して威勢を張ることは推奨されるべき振る舞いであると思 うようになったのである。近代に至ってヨーロッパの諸国民の「国家意識」は至高の価値となったのである。

ナチスを典型とするような民族の紐帯を強調する政治集団が生まれた。しかしそれはドイツに限らず、近代の前半に「近代国家による戦争」に明け暮れたヨーロッパ人たちが国民・民族の垣根を越えて共有するようになった、いわば「前期-近代人」独特の精神状態だったのである。彼らは互いに敵対し合いながら、その思考態度だけは「共有」し合ったのである。そしてこれは「近代的思惟の産物」でもあった。嘘だと思う なら、資料にあたって調べてみるといい。かつての王家の戦争は、決して民族・国家の名をかけた「国民同士の戦争」ではなかったということが分かるはずである。第1次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領が民族自決主義を唱え、その議論はおおいに世界の諸国民に受け入れられた。しかしそうなるためには、近代に至って変容した人類の「新しい自我感情」の下支えが必要だったのである。

彼らがはてしなく「民族の価値」を言い募ったのは、実は彼らが「前期-近代人」に到達していたあかしなので ある。けれども彼らは自分たちが「伝統の子」だと錯覚している。そうではないのである。その感情は彼ら自身の「近代的精神作用の結果」なのである。だからそのような彼らが古代の精神、あるいは伝統意識を継承しているなどと思い込むとすれば、それはまったくの錯覚に基づいている。実際には彼らの政治的振る舞いは、長い人類の精神の発展変容史上において眺め直してみれば、「比較的最近になって獲得された近代思考」に基づいているにすぎないのだから。

結局2度目の世界大戦は起こるべくして起きなければならなかったのである。ヨーロッパ人たちの「改まらない精神生活こそ」がその戦いを招き寄せたのである。そして到来したその戦いこそがそれまでのヨーロッパ人たちの高慢をへし折ったが、これはヨーロッパ人だけでは達成できることではなかったのである。ヨーロッパ人はすでに自浄能力を失っていたからである。ヨーロッパ人は「近代出現以来の彼らの精神生活のツケ」を外部発注によって乗り切ろうとしたのだった。それが第2次世界大戦が持っている別の側面である。つまり自分たちが世界に持ち込んだ近代初発以来の世界観と世界支配体制を打破するためには、日本とアメリカが「彼らの用意した土俵」に上がって互いに喧嘩して、それまでの世界秩序を崩壊させてくれる必要があったのである。

あの大戦によって、近代社会の黎明期のなかから出現した「植民地経済=帝国主義経済」は自分自身の罪によって自己崩壊したが、一方で19世紀のある時期にひそかに、もうひとつの「他国の領土を独特の唯物論精神で染め上げたい」という、これまた別種の「領土と人民支配の野望」をもった勢力が「ヨーロッパ人の思考態度」の中から出現した。この理念はまたたくまに世界中に拡散した。

彼ら共産主義者たちは2度の大戦争によって、「古いタイプの帝国主義国家群」がまさしく「帝国主義がはらむ自己矛盾」によって自己崩壊したことを「世界中の目」から隠したのだ。この事実こそがいまだ認知されざる世界史の秘密なのである。

「おのれの支配権を世界に拡張する野望を持つ国家」を「帝国主義国家」と呼ぶならば、「みずからを世界全体に拡張し支配したいという野望」を持っていた共産主義者たちはまぎれもなく、「もうひとつの新しい帝国主義者の群れ」に違いなかった。古いタイプの帝国主義者たちは「地上の富の収奪」が目的だったが、これは見えやすいし行動も理解しやすい。しかし共産主義者という新しいタイ プの帝国主義者たちが支配したかったのは、「地上の富」ではなく「人間の精神生活」だった。そしてそうであったればこそ、本当は何が起きているのか国民にはその実態がにわかには理解できないまま現代にいたっているのである。

だからこそ「帝国主義打倒」という「インチキなスローガン」は、前世紀以来、人間社会の内部でもっとも現実感覚を失っていたインテリ層に巨大な影響力を行使することができたのである。左翼人が繰り出すさまざまなスローガンは、そのような知的な現代人の混乱した抽象観念に火をつけるための発火剤のようなものだった。「詐欺師」のことを英語でマッチスティックメン(matchstick men)というが、まさしく彼らは「政治的な詐欺師集団」だったのである。

彼らは、悪党が他人から悪党よばわりされる前に、指さす者たちを悪党集団にしたてあげて逆に責め立てるような----現代の北朝鮮の支配層の脳髄反応は、特に分かりやすいその典型である----運動にいそしんできた。それが「古い戦前の帝国主義国家群」の「大崩壊後の世界」で演じられてきた茶番劇である。彼らは「すでに崩壊して存在しないモノ」をあたかも存在するかのように学問的体裁まで用いた詐術によって世界の住人たちをだまし続けてきたのである。なぜなら、その真実が世間に知れたら、彼らは、学者として、また政党人として、今後も引き続き人々の間で「アメリカ帝国主義打倒」を言いつのることは、もはや不可能になってしまうからである。彼らは自分の今の立場を守るためにも今後も嘘をつき続けなければならない。

世界の統治問題に関して、いまなお多くの人が「世界は昔からずっと国家間の金の奪い合いで戦争しあっている」というような陰謀論を聞かされるのを好んでいる。しかしそのような妄想こそがまずインテリの脳内から払拭されない限り、世界が精神的に現実的な前進を果たすことはできないであろう。なぜなら本当は帝国主義は終わっているのだから。

(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。

平成操練所ネオ

今年の2月17日にBBIQの光ケーブル回線に移行するのに伴って、@ニフティで展開していた平成操練所を同時に活動停止状態にしました。それまで「新しい教科書をつくる会」周辺のサイトやブログにもしばしば投稿していましたが、「政治的立場としての保守主義者を気取る知識人の大部分も結局は社会主義者に過ぎなかった」という事実が、つまりは「日本の人文系学者の大部分は〈その看板上の左右の見かけ〉とは裏腹に〈左右ともに〉大部分が〈経済生活人として〉は〈左翼人的な情念あるいは感性の持ち主〉であった」という事実が、一般市民の目にも明らかになっていきました。

伝統主義を唱えつつ経済感覚は政治的立場としての革新主義者、すなわち社会主義者と変わらないという人々と文字通りの社会主義者たちによって戦後の言論界が牛耳られてきたということこそ、戦後日本の最大のスキャンダルだったのです。

そういうわけで、まだ早春だったにもかかわらず、

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる

という古い短歌に思いをたくして、私は「つくる会」の崩壊劇の予兆の暗示とともに、ひとまずそれまで続けてきた平成操練所というサイト活動を停止したのでした。

これまで平成操練所というサイトは勝海舟を大看板に掲げて歴史問題や政治問題を語り、一方でルドルフ・シュタイナーの神秘学への言及も頻繁に行っておりました。しかし、これからは平成操練所内の活動としては、神秘学関連は「薔薇十字」という別サイトを中心にして、そちらで活動して行こうという思いに至りました。そういうわけで、平成操練所のトップページもまったく様変わりしました。

一旦はネット上から引き上げた平成操練所をネット上に呼び戻すきっかけになったのが、無料でホームページやブログの提供をしてくださっているSHINOBI.JPのドメイン名だったわけです。このサイトが提示するドメイン名のおもしろさに、思わずHPのURLを取得し、活動はしないまでもネット世界にページだけはさらしておこうと思い、4月26日に再アップロードして今日に至ります。

2日ほど前、ふと思い立ってSHINOBI.JPのサイトを何気なく訪れ、壁紙の提供などもやっているのを見て、あれこれチェックしてみると、右下に「黎」という文字をあしらった不思議に心引かれる壁紙を見つけました。私は「これは新しい平成操練所の背景画像になるかもしれない」と直感しました。

そこでHPソフトを起動させてあれこれいじってみると、なるほどいい感じです。仮のデザインを眺めながら「今後は勝海舟メインでいこう」そう思いました。そういうわけで、かつての宇宙背景のトップページはネット上からは消えることになりました。(以下はその旧版のトップ画面)

085db190jpeg

 

 

 

 

 

合わせて、SHINOBI.JPの提供するブログサービスも活用しようと思いたち、かつてのBBS方式からこちらも模様変えです。

とはいえ、それほど頻繁に書き込めるかどうか保証はできませんが・・・・・。なにせ私は多血質の気質なので、興味が次々と変わり、なかなか一つのことに長く集中できないという欠点があります(両手結びと腕組み使った調査では「うう脳派」でした)。それでも「時々様子伺いに密かに平成操練所を訪れてくださってる方が、ほんの時々思い出して覗きに来られるようなときに、いくらかでも新記事がアップできておればよいであろう」と、勝手に自分を納得させておるところでございます。

そういうわけでありますから、今後も思い出した時に寄っていただけると幸いです。

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