昔、大学生時代、家庭教師をしていたことがある。その子は中学1年の男の子だったが、社会科(歴史)が苦手だった。その子がこういうことを言った。
1000年後の子どもの使う学校の教科書って今より覚えることが多くなるから、分厚くなって、ますます覚えなければいけないことが増えて大変だね。
私はこんなふうに答えた。
ほんとそーだね、未来の子どもは気の毒だねー。普通に考えると、1000年後にはもっと覚えるべき歴史の用語がふえちゃうだろうねー。でもね、きっとそうはならないと思うよ。実はさ、学校というところはさ、国語なり数学なり社会なりを何時間教えなさいってのが先に決まってるから、教科書はその時間数に合わせて作り変えられていくんだよ。きみは塾には通ってないけど、家庭教師とか塾なんかさ、そういうのってまったくフリー状態だからボクとか塾のセンセは好きなように時間数決めて、場合によっては生徒の質に応じてある教科を増やしたり、減らしたりして調整しているけどね。実は学校ってところは、その辺のところが、融通がきかないお役所のような部分があるんだよ。だからさ、今きみが覚えなさいって言われている用語のいくつかは1000年後には新しく登場してくる用語と入れ替わっちゃうよ。そしてね、学校の授業時間数が1000年後も変わらないと仮定すると、たとえば社会の教科書の厚みは同じまま、いったい誰がどんな権限でそんなことを選んでいるのか、ボクにも分からないけど、「教えなさい」って、つまり「大事だから覚えなさい」って指定される内容が変わるだけってことなのさ。今君が覚えるのに苦労している単語のいくつかは1000年後の中学生は覚える必要はなくなるよ。そのかわり、いまきみが覚えなくていい新単語を未来の中学生は覚えさせられることになるだろうけどね。単語の持つ重要度ってのはさ、普遍的、分かるかな、フヘンテキって、いつでも変わらないわけじゃないんだよ。
彼はあまり私の言っていることが理解できていないようだった。実際、先に盛りつける皿の容積が決められ、その後で食べさせられる内容が決められるのだというような話は、中学1年生には難しい話には違いない。子どもは皿の容積なんぞには興味はないだろう。何が食べられるのか、おいしいものだったらいいな、と思うばかりであろうから。
私はこうも言った。
でもさ、1000年後の人間は、いまみたいにテストテスト、って言わなくなってるかもね。どこの学校ももっといまとは違った授業をする学校に変わっているかもしれない。大人の人たちの勉強というものに対する考え方がいまとはまったく変わっているかもしれない。それはおおいにあり得ることだと思うな。まあ、きみは現代の人間だから「うーん、うーん」と苦しい声を出しながら今の学校制度の中で、苦手な歴史の暗記にいそしまなければいけないと思うけど。
えー、だったら1000年後の子どもに生まれればよかった。
その気持ちはよくわかるよ、と答えつつ、期末テストに備えて、彼をはげます大学生のボクがいた。
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