教育再生会議が「教育の再生」のために出した提言をみて、「これが本当に〈有識者たち〉が真剣に考えた結論なのだろうか」と愕然としました。昨今行政の税金の無駄遣い問題がマスコミでうるさいですが、この会議にかけた税金も無駄遣いでしかなかったと国民の多くが思ったことでしょう。
「自分たち自身の思考方法の変更」をせまるような根本的な自己批判は皆無でした。10年たっても、子どもの問題行動は減らないでしょう。
教育観と教育行為が「自動化」「ロボット化」してしまっていることこそが最大の問題なんだということが自覚できない人びとによって、「そんな結論なら小学校の学級会でも子どもが言うことができる」と言いたくなるような結論しか出てこない状況を見ると、未来の日本人の精神生活の荒廃はさらにおそるべきものになるに違いないという予感に襲われます。
私の問題意識は、現在「大声で」教育問題について語る人びとの問題意識と重なるところがありません。そのような人びとと「何が問題なのか」という意識感覚がズレてしまっている以上、今後も「大声で語られる演説会に集まっている人びとの後頭部」を眺めながら、ほそぼそと「そんな思考態度でいいのか」と彼らに向かって後ろから小さな声で話し続けるしかありません。
P.S.
前回のエントリー「国家の教育制度下のソフィスト的な処世術問題」に補足記述を追加いたしました。追補版を未読の方はどうぞ。他の教育関連記事も合わせてどうぞ。
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