ベトマン=ホルヴェークの遺著『世界大戦の考察』が近く刊行されるが、その中に次のような一節があるそうである。「ヨーロッパの混乱と共に、今、われわれの敵たちが世界に約束した、自由と正義の時代が始まる」。ヨーロッパの公的生活にその地位によって大きな影響力をもちえたベトマン=ホルヴェークのような人物をこの一節に見られる方向の考え方へ導くためには、世界大戦が必要だったのである。しかし彼はこの文章を書いたとき、すでに権力の座から退いていた。
ヨーロッパにおける民衆の生活状況は世界大戦によって生じたのではない。それ以前からそのような状況は存在しており、そしてそのことが大戦の原因となったのである。その生活状況は、今大戦を通してはっきり表面に現れてきた。
公的生活の指導者たちは民衆の生活の中に存在する諸力を見ようとしなかった故に、恐るべき破局を回避することができなかった。彼らは外的な権力関係だけに標準を合わせてきた。だが現実の生活は民衆の魂の在り様の中に根を下ろしていた。
混乱の中にひとつの明かりを点じるためには「民族の魂の在り方を理解せずに、公的要件を健全な方向へ向けることができない」という洞察をもつようにならなければならない。
ワシントン会議を考える人の眼は、今、極東の日本へ向けられている。しかしここでもその眼は外的な権力手段に呪縛されている。支那とシベリアにおける西洋の経済的利害関係を十分満足できるようなものにするためには、日本にどう対処したらいいのか、と人びとは問う。
もちろん人びとはそのことを問わねばならない。なぜなら、この経済的利害関係は存在しており、そして西洋の生活はそれが満足させられなければ、先へは行けないのだから。しかし人びとは、今日考えている手段によってのみ、この利害関係が何らかの軌道に導かれる、と思い込んでいる。本当は何が生じなければならないのか。
日本は現在、或る関係においてアジア的生活のもっとも前衛的立場に立っている。日本はもっとも外的にヨーロッパ形式を取り入れた。だから人びとは同盟、条約その他によって、政治的に西洋の慣例に従ったやり方で日本に対処できている。しかし民族魂の特質に関しては、日本は今でもアジア的生活全体に結びついているのである。
実際、アジアは古い精神生活の遺産をもっており、日本にとってはそれに優るものはない。この精神生活は、日本を満足させることのできないような状況が西洋によって作り出されたときには、強力な焔となって燃え上がるであろう。しかし西洋の人びとは単なる経済的な手段によってこの状況に秩序を与えることができると信じている。人びとはこのことによって、此度のヨーロッパ戦争よりも、もっと恐るべき破局のための出発点を作っているのである。
今日、世界全体にまで広がった公的用件を精神的衝動の介入なしに遂行することは許されないであろう。アジアの諸民族は、西洋が彼らに一般人間的な性格をもった諸理念をもたらすことができるなら、西洋に対して物わかりのいい対応をするであろう。彼らは、人間が世界全体との関連のなかで存在していること、人生はこの世界関連にふさわしく社会的に整えられねばならないことを理解するであろう。東洋の古い伝統の中にありながら、今、彼らが暗い感情に促されて革新を求めて努力している事柄について、西洋が何か新しいことを与えてくれそうだ、と東洋の人びとが思うとき、西洋人と東洋人とは理解ある協力体制を作り上げるであろう。しかし人びとがそのような東西協力による公的な働きを非実際的な人間の空想にすぎないと考えるならば、たとえワシントンにおいて、軍縮が世界平和にとってどんなにすばらしいことかと話し合ったとしても、最後には東洋が西洋に対して戦争をしかけてくるであろう。
西洋は自分の経済目標を達成するために、世界の安定を求めている。東洋は、西洋が精神的に価値あるものを東洋に提供すると信じたときにのみ、その経済目標に同調するであろう。今日の大きな世界問題の秩序は、精神生活と経済生活とを正しい関係に置くことができるかどうかにかかっている。
われわれが社会有機体の中での精神生活を本来の自由な基礎の上に置かない限り、このことは可能にならないであろう。西洋は精神的発展を続ける可能性を持っている。西洋は自然科学的、技術的な思考方法によって、これまでに蓄積した財宝の中から精神にふさわしい世界観を取り出すことができる。しかしこれまではこの財宝の中から、機械的=唯物的な見方しか取り出してこなかった。公的な思考は公的社会生活の中で精神的なものを経済的なものに組み入れた。西洋の素質に内的に強く組み込まれている精神の自由な発展は、精神生活の管理が社会生活の別の要因である政治や経済と結びついてしまった故に、妨げられている。高次の魂に関心を寄せるひとりひとりの人間は、東洋からその古い遺産を受け取り、それを外的な仕方で西洋の精神生活に接ぎたそうとしている。「東方からの光」はそのような前提の下では西洋にとっての貧困の証拠であるだけはない。それは恐るべき告発なのである。それは西洋が陰惨な利害関係によって、自分の光を見ようとしていない事実に対する告発なのである。
西洋における精神的価値を高揚させることこそ、人類が今日の混乱を克服して、何もできずに混乱の中でさまよい続ける状態から脱却する唯一の道である。この基調をもった意欲を非実際的人間のユートピア的=神秘的な夢想と見做す限り、混乱はさらに続くであろう。人びとは平和について語るであろう。しかし戦争の原因を取り除くことができない。最近のように、かつて権力をもっていた個人(注)がまたそのような権力を手に入れようと努力している様を見るとき、ヨーロッパの運命について深く憂慮せざるをえない。状況が極めて不健全であり、そのような憂慮をもたざるをえないことについて、私たちはよく考えなければならない。(1921年11月6日 週報「ゲーテアヌム」第一巻十二号)
(注)カール一世。オーストリア皇帝、1921年の復活祭と10月にクーデターによってハンガリーの王位につこうとした。
11月に開かれるワシントン会議の結果に世界中の関心が集まっている。西洋列強のこの会合の議題として、軍縮と太平洋の問題があげられているが、人びとが真剣に考えているのは後者だけであって、前者は一種の道徳的な装飾品と思わなければならない。事実、北アメリカ、イギリス、日本という、今日の世界史がそこに依存しているところの三大強国の視線は、太平洋に集まっているのである。その際何に関心が向けられているかを調べてみると、その関心の中心になっているのが経済問題であることがわかる。人びとは経済上の利益に見合った軍縮を行うか、その利益に応じた軍備を行うかしようとしている。そうすることしかできないでいる。各国の国益に応じて、経済問題も対処していかざるをえず、他の問題は経済活動の光の下でしか、扱われざるをえないのである。
しかしヨーロッパとアメリカの思考方式は、それがそれぞれの歴史によってもたらされたままのものである限りは、アジアでこの上ない抵抗を受けることになるであろう。ロンドンの英連邦会議での南アフリカ連邦首相スマッツの発言は、多くの人にとって大変に重要なものであった。彼は、未来の政治はもはや大西洋や北海にではなく、今後の半世紀間は太平洋に目を向けなければならなくなるだろう、と語った。しかしそうであったとしても、この方向で為される西洋人の行動は、アジア人の意志と衝突するに違いない。ほぼ50年前から始まった世界経済は内的にますます発展していき、アジア諸国民をもその活動圏内に引き入れることになるであろう。
けれども民族の相互理解の現存する諸条件にさらに別の諸条件が加わらなければ、このことは良い結果をもたらさないであろう。アジア諸民族の信頼を得ることができず、彼らと共に経済活動行うことができないであろう。純粋に経済の地盤においてだけでは、或る程度までの信頼しか得ることはできない。経済だけでは人びとの意図に充分応えることはできない。アジア人の魂をつかむことができなければならない。そうでなければどんな対応もこの人たちの不信感によって覆いをされてしまうに違いない。
こう考えると、今日の世界問題は最大限の射程距離をもってわれわれに迫ってくる。西洋人は数世紀の間アジア人の不信感を呼び起こすような考え方をし、感じ方をしてきた。アジア人がこれから西洋の科学とその技術成果をどれ程知るようになろうとも、それは彼らの心をひきつけず反発させるだけであろう。彼らが同じアジア人仲間である日本人の中に西洋文明への傾斜を見るとき、日本人を真のアジア精神の背教者と見做すであろう。彼らは彼らの魂の生活の内的な豊かさに較べて、西洋文化をもっと低次のものと見做している。彼らは物質的進歩の点で立ちおくれていることに注意を向けない。ただ魂の努力だけを見る。そしてこの努力の点では彼らの方が西洋人よりも優位に立っていると思っている。西洋人のキリスト教に対する態度も、彼らの宗教体験の深さにまで達しているとは見ていない。この点で今彼らの知るところとなったものは、彼らにとっては宗教的唯物論でしかない。そしてキリスト教体験の真の深さは今、彼らの目の前には現れていない。
西洋の諸民族が魂のこの対立を世界政治の見方の中に取り入れなければ、解決不可能な問題の前に立たされてしまうであろう。この対立を考えることを感傷的だと思い、実際家には関係のないことだと思う限り、人びとは世界政治を混沌の中へ追い込んでしまうであろう。これまでは夢想家のイデオロギーにすぎないと思ってきた事柄の中に、実際的な力を認めることを学ばなければならない。
そして西洋はこの発想の転換をすることができる筈なのである。これまでは西洋の本質の外側だけが発達してきた。アジア人が理解しないこと、決して理解しようとしないであろうことを、西洋人は達成した。しかしこの外側は、これまでその本質をあらわさなかった内的な力から生じたものである。この内的な力を発展させることができなければならない。そうできたときには、物質生活の上でアジア人にとっても世界的な価値を示しているような成果があげられるであろう。
もちろんこのような主張に対しては、次のように応じることができる。「野蛮なアジアに較べれば、西洋には内面化した深い心情があり、高次の文化がある」。たしかに正しい。けれどもそんなことではなく、西洋人が深い魂の本質を発達させることができる、ということが大切なのである。それなのにこれまでの西洋の歴史は、魂を公的な社会生活の中にはもち込まないように人びとを仕向けてきた。アジア人の魂は子どものようであるかも知れない。表面的でさえあるかもしれない。しかしこの魂をもって彼らは公的な社会生活を営んでいる。私の言う対立は、倫理上善か悪かということとは無関係である。同様に美しいか醜いか、芸術的か非芸術的かということとも関係はない。私が言いたいのは、アジア人が外なる感覚世界の中でも彼らの感性や精神を共体験していのに対して、西洋人が世界に向き合うときには魂を内部にしまい込んだままにしている、ということなのである。アジア人は感覚を働かせて生きるときにも精神を発揮する。しばしば悪しき精神をも発揮するが、精神であることには変わりない。西洋人は内面生活においてどれ程精神と密接に結びついているとしても、感覚生活はこの精神を逸脱して、機械的に考え出され秩序づけられた世界に向かって努力していく。
もちろん西洋人はアジア人のために精神的な考え方や感じ方を身につけようとはしないであろう。そうするとしたら、もっぱら自分自身の魂の要求からそうしようとするであろう。決してアジア問題がそのための動機となることはあるまい。しかし西洋の物質文明は、その中に留まり続けることに満足できないところにまで達した。その内部で人びとは自分の人間性が内的に空虚になり荒廃していく、と感じさせられている。西洋人の魂は存在全体の内面化を達成するために、精神的な生活態度を求めて努力しなければならない。そうでなければ、進歩の現段階に立つ自分を本当に理解しているとは言えない。
この努力は西洋そのものが現代という時代によって要求されている事柄なのである。それが時間的に、世界政治上必要となった東洋への眼差しと一致しているのである。魂の生活を改革しようとする意志がなければ、これ以上の人類の進歩は不可能だということに西洋人が気づかぬ限りは、時代の大きな課題について救いがたい幻想に陥り続けるであろう。アジア人が魂の偉大さと呼んでいるものの前に西洋人が立たされたとき、魂が羞恥心にふるえないでいられるだろうか。
そして西洋人が物質上の成果の補足物として、古代東方の精神性や魂の遺産を受け取ろうとするのは、錯覚でしかない。西洋人が自分の科学、技術、経済能力を真に人間にふさわしいものにすることのできる精神内容は、西洋人自身が自分の中で発展させることのできる能力から来るのでなければならない。多くの人が「光は東方より来る」と語った。しかし外の方からやってくる光は、それを内なる光が受け取るのでなければ、光を知覚したことにならない。
魂のない世界政治は魂のあるものにならねばならない。たしかに、魂の発達は人間の内密なる要件である。しかし内面化された魂の生活を伴った人間の行為は、すでに外なる世界秩序の一端である。アジア人がヨーロッパ人から学ぶコマーシャリズムは東洋においては退けられる。精神内容を開示する魂だけに信頼が与えられる。中国を西洋列強に利益を提供する経済領域にするにはどうしたらいいか、という問題に答えるのが実際的なことだと思うとしたら、それは古い思考習慣以外の何ものでもない。アジアに住む人たちの魂とどうしたら理解し合えるのかというのが真に実際的なこれからの問題なのだ。世界経済とは、そのために見出さねばならない魂にとっての外的な身体であるにすぎない。
私の時代考察がワシントン会議で始まり、魂の要求で終わるのは、人によってはイデオロギー的な態度だと見るかもしれない。しかしわれわれの忙しい時代においては、今の理念蔑視者がいつ見解を改めて、魂を無視することは実際的ではない、と言い出すかもわからないのだ。(1921年8月28日 週報「ゲーテアヌム」第一巻二号)
2001年9月11日のニューヨークのテロ事件直後、たくさんのテロ関連の書物が急に世間から注目を浴びる ようになったが、その書物群の中に、『テロリズム』という邦題名を持つ本がある。著者はブルース・ホフマンというイギリス人である。
この本が世界でどのくらい読まれたかは分からないが、英語圏は当然であるけれども、アジア地域においても日本以外の地域で翻訳紹介されているとすれば、この本は本来「テロリズム」について書 かれた本ではあるけれども、実はあのテロ事件を仲介役として、「日本の大東亜戦争」の意味を広 く人々に知らせる役割も担ってしまったのではないかと思われる。
日本人自身がブルース・ホフマン氏の言うようなことを現在の中国・韓国・北朝鮮に向かって主張 したとしたら、どんな状況が生じるだろうか? もちろん、われわれはその前例を知っている。だが、日本の戦争相手国に住む人物が、今このような発言をしても、アジアに住む人々は、誰もこの西洋人の発言に対して「われわれの心の痛みを無視した妄言だ。いますぐに撤回せよ」などとは言わないのである。
以下、ブルース・ホフマン氏によって世界の住人に再び示された「あの戦争の意味」あるいは「その解釈」について、その箇所を紹介する。
1942年2月15日、侵攻してきた日本軍がシンガポールを占領し、大英帝国は、帝国史上最悪の敗北を喫した。戦略的な価値はともかく、シンガポール陥落の真の意味を、当時の代表的な軍事戦略 家バジル・リデル・ハートはこう述べている。
「極東における西洋支配の輝かしい象徴であったシンガポール……1942年2月、そこを簡単に占領されたことで、アジアにおける大英帝国の、そしてヨーロッパの威光はこなごなになった。あとで奪 いかえしたが、その印象をぬぐいさることはできなかった。白人は、その魔術をくつがえされてしまい、支配力を失った。帝国も無敵ではないという認識が広まり、それに勇気づけられたアジア全土で、戦後、ヨーロッパの支配もしくは侵入に対する反乱が起きた。」
それどころか、その後数週間以内に、日本軍は、オランダ領東インド(インドネシア)およびビルマ(ミ ャンマー)も征服した。香港は、すでに前の年のクリスマスに降伏していたし、フランス領インドシナの 支配権は、日本軍が一年前に握っていた。そして、アメリカ軍が駐留していたフィリピンのコレヒドール島が、1942年5月、最終的に降伏したとき、日本の東南アジア征服----と、イギリス、フランス、 オランダ、そしてアメリカが当地で築いた帝国の破壊は----完了した。
これらのできごとが長期的におよぼした影響ははかりしれなかった。ヨーロッパの支配国は無敵だと思いこんでいた現地の人々は、これ以降、以前の支配者をまったくちがった目で見るようになった。 巨大な大英帝国は決定的な一撃を受けたし、アメリカの占有する太平洋地域の平和および安全保 障協定もおなじく粉砕された。インドシナを蹂躙する日本軍にまったく歯の立たなかったフランスは、 ヴェトナム人が思い描いていた支配者としての威厳を大きく損ねた。インドネシアでは、日本はその 国の独立を約束し、まだ残っていたオランダへの忠誠心をうまく消し去った。戦前、ヨーロッパ列強は、アジア人は多様すぎて、彼ら自身では国を統治できないと主張していた。だが、日本が、自治を現地人の行政府にまかせ、名目上は独立させるという政策を取ったことで、列強の意見は一蹴された。反対に、現地人が抑留されたヨーロッパ人を支配し、下賤で骨の折れる作業をやらせた。だか ら、数年して戦争の流れが連合軍有利に変わっても、現地の人々が、ヨーロッパの帝国には二度と 支配されまいと決心したのも当然のことである。
独立と自決権を求めて声をあげたのは、衰退している植民地列強に統治されていたアジア人だけではなかった。列強の屈辱的な敗北はほかの人々の耳に刺激的に響き、ヨーロッパの----じっさいに は西洋の----権力と、強大な軍事力に対する神話に挑戦するものがあちこちで現れた。中東、アフ リカ、インド、地中海地域、北アフリカの原住民が、戦前の植民地体制に戻るのをおそれていらついていた。彼らは、自分でも気づかないうちに、第二次大戦初期に、民族独立と自決権を約束した連合軍の協定に期待していたのだ。1941年、アメリカがまだ参戦以前に,フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、ニューファンドランド島沖合の軍艦上でウィンストン・チャーチル英首相と会い、両国の戦後の目標を話しあった。その結果、大西洋憲章といわれる8項目からなる文書が作成された。歴史家トムソンによれば、憲章のおもな目的は、「西洋の大義の正しさをもって、敵側の考えを大きく動かす」ことにあったのだ。だが、その影響は、高慢な目標を遠く越えたところにおよんだのである。
大西洋憲章の第一項で、両国の戦争の目的は「富や勢力、領土その他」の取得ではないと、わざわざ確認している。ヨーロッパ列強にとって、将来的な問題の種となったのは、第二、第三項だ。第二項では、イギリスもアメリカも「関係する人々の自由な意志に反する領土の変更を……」望まないと はっきりうたい、第三項で、両国は、「すべての人々が、自分たちの政体を選ぶ権利を尊重する」とさ らに誓っている。これらの原則は、1942年1月1日にイギリスとアメリカが合意した「連合国宣言」に まとめられ、その後、ドイツと戦争状態にあったすべての政府が合意した。これで、彼らは、果たすつもりのなかった約束を果たさなければならなくなったのである。憲章調印一周年の記念日に、チャーチルは、最初の合意内容を修正し、制限をもうけようとした。憲章が適用されるのはアジアかアフリカ だけで、インドとパレスチナは関係ない。しかも、ドイツ、イタリア、日本に征服された国にかぎるというものだった。だが、すでに手遅れだった。植民地支配をつづけたいヨーロッパの植民地列強によって都合よく再定義された憲章には、だれも耳を貸さなかった。(ブルース・ホフマン『テロリズム』P59-P62)
前回のエントリー「大東亜戦争とは何だったのか」の内容とも関連させて読んでもらえれば幸いである。
人類は近代という時代の発展の中で「私」というものを強く感じる意識的な自我を獲得してきましたが、一方でまさしくこの新しい自我、ともすればあまりに自分自身を感じすぎる自我が亜種を生み出しました。今でも左傾的思考に親和力を持っている感じやすい人は----知的で利口な人が多いようです----、自分自身の感じすぎる自我のその腫れ物に触るような痛みの原因を自分の外に「自我を抑圧する外部圧力」として抽象化して感じることを好むようです。「そのような利己的な魂」を抱きながら、歴史的に彼らは国民の煽動者となって世界に散っていきました。新しい自我意識の獲得が始まった極東日本の若者たちの中にもひりひりする自我の原因を「自分の外部」 にみいだす一群が現れたのでした。その自我感覚、その情念は、子どものはしかのように、順次、世界を右回りで移動していきました。人類は誰でもその自我の病気を体験しなければなりません。そして今、その自我の病を、新たに西方アジアやアフリカの人々が体験している最中なのです。 以下の図は、その自我の病が世界をどのように移動しているかを描いたイメージ図です。
アメリカは近代前半のヨーロッパの混乱を静める助太刀人としてヨーロッパ戦線に参戦する口実を得るためにも日本と激突する必要が、すなわち日本に喧嘩をふっかけてもらう必要がありました。日本がヨーロッパを荒し回るドイツの同盟国だったからです。しかし一方で、日本がアジア地域に軍事的に侵攻し、 長年に渡るヨーロッパ人による植民地支配の根っこを叩き潰すことができるようなきっかけを得るためにも、日本自身もまたアメリカに喧嘩をふっかけてもらわなければならなかったのです。(左翼系の人はこういう語り方をすると、「日本がそんな意図を持っていたなんて嘘だ」と反論します。けれどもそのような人も、近代の精神分析学が提示する、人間の日常的自己意識には説明不能な行動を促す無意識領域からの働きかけの存在なら、不思議なことに認めるのです。顕在意識が認識できていないことを人間というものは行うことがある、ということを認める人々が、歴史の地下水脈の存在を承認できないのは、実に奇妙な矛盾でありましょう。)
日本はアジアにヨーロッパ産の光の面たる「自己に根ざした新しい精神生活」という種を蒔くために、破竹の勢いでもって地ならしを行いました。日本が地ならし役だったというのは、日本自身にはアジアに広く蒔くことのできる自前で調達できる近代精神、新しい自我精神の持ち合わせはなかったからです。日本は地ならしが済んだら、その場からたち去らねばなりませんでした。あるいは日本は小麦粉を水でこね回し、その固まりをまな板にたたきつけるパン職人でした。けれどもイースト菌は自前では培養できなかったのです。そういうわけで、後から別の地域で培養されたイースト菌が、かつては栄光に満ち文明を築きながら、その時にはすでに古びて勢いを失っていたアジアに植え込まれることになったのです。
しかし、皮肉なことにヨーロッパから広くアジアというバン生地にもたらされたのは、よいイースト菌ばかりではありませんでした。よりアジアの大地を大きく膨らませたのは別種のヨーロッパ思想、全体主義 (共産主義)という毒の混入したパン種の方でした。その毒の混入によってアジアは今なお苦しんでいます。そのあとすぐに起こる新しい事態、すなわち、東西の思想戦を戦い抜く力は日本にはありませんでした。戦後、極東地域の新たな戦争たる思想戦の舞台はアメリカの意図に反して拡大してしまいました。アメリカは日本をアジア大陸から立ち去らせるために腰がたたないくらいにぶちのめしましたが、その肝心のアメリカ自体は、すでに日本が明治末期から極東地域において思想戦をロシアと戦い始めていた事実を後になって悟ったのです。大英帝国が威勢を張っていた戦前まで、おおらかでおおざっぱな性格のアメリカ人は初めのうち、ヨーロッパと極東地域に憂慮すべき新しい世界問題が出現したことを正しく理解できておりませんでした。ですから、アメリカはこの地域でヨーロッパの植民地国家の代理人として日本と戦争しましたが、日本と戦争して成功したことが新しい失敗にも繋がったことをあとで悟ったのでした。アメリカはアジアの植民地地域においてヨーロッパにとってじゃまな日本を叩きのめすという、ヨーロッパの利己主義の代理人として付き合わされましたが、そのすぐ後に、そのヨーロッパからアメリカという国家そのものの建国精神を崩壊させかねない思想戦をいどまれるようになります。その事態の変転は、ちょうど映画の映写技術のクロスフェードのようにひとつの事件ともうひとつの事件が折り重なって終わりながら始まったのです。
アメリカは日本の極東地域における精神戦を日本になりかわって引き受けることを決意します。それは自国の建国精神を守るためでもありました。そして今もなお日本の代わりに極東で戦い続けているのでした。もし歴史の歯車、歴史の組み合わせが異なっていたら、強力な戦力を保持し続けていた日本は独自にアジアの共産主義国家群を相手に戦争しなければならなかったことでしょう。現実にはベトナム戦争を戦った主体はアメリカでしたが、もしかしたらその主体は日本自身だった可能性もあったのだということを皆様もいま一度よく考えてみるべきです。
ヨーロッパ人による世界の植民地化という人種激突の要因は半世紀前の日米対決によって一掃されました。ヨーロッパはモンロー主義者だったアメリカを世界の用心棒にしたてあげました。ヨーロッパ人の愚かさが生み出した結果がアメリカの軍事力を必要としたからです。そして今もなお世界はアメリカの軍事力を必要としています。アメリカの軍事力は、世界がアメリカの血の苦労に報いたときに、すなわち、世界の全面的な精神解放と国際協調が達成されたとき----つまり東西アジア地域の真の民主化こそが求められているのです。またそうできなければアジアは真の霊的伝統をも発揮できないままでしょう----終わりを告げます。アメリカを変える一番効果的な道は、世界がアメリカの軍事力にたよる必要のない世界を自発的に築くことです。ですがこれは唯物論的ユートピア思想によって歪んだ世界像を抱きながら「帝国主義国家アメリカと敵対し続けるべきだ」と考える勢力には永遠に達成できない課題です。なぜなら、その場合は「彼らは何ひとつ自己変革する必要はない」のですから。結局彼ら自身こそが「永遠の闘争」のために「アメリカの軍事力」を必要としているのだという奇妙な逆説状態を維持することになるでしょう。左翼勢力こそがもっともアメリカを誇大視し、ある意味、全能の神のごとき対象に仕立て上げた張本人なのです。事実、左翼人はアメリカという国家を崇拝しきっています。しかしそれでは決して世界問題は解決しないのです。われわれ普通の自由主義社会に生きる人間たちは、彼らのまき散らす誇大妄想に付き合う必要はまったくありませ ん。現実感覚を取り戻せばいいだけなのです。決して学問にふけっている人のように抽象的に世界を眺めるべきではありません。
ここ500年に及ぶ世界史を改めて眺め直してみると、人種対決という「15世紀にアジアにまかれた種」の成長の帰結と、その500年後、思想対決という「20世紀初頭に新たに世界に蒔かれた種」の発展が、ほんの半世紀前のあの時代に折り重なっていたことが分かります。
ですから、半世紀前までの日本は、「始まりの時代を異にする、新旧二つの課題に極東アジアで対峙していた」ことになるのです。
むしろ「共産主義と敵対する」という、「もう一方の新しい課題」に対しては、日本はその危機感という点では、戦前のアメリカの先を行っていたのでした。この新しい世界問題の出現に関してアメリカは、日本と戦争するまで、まったく眠り込んでいたのです。
しかし、奇妙なことに、ヨーロッパ人がアジアに蒔いた「古い世界問題」は、南北戦争を終えて本格的にアジアに登場してきて、しかもアジア大陸にたいした利権をもたなかったアメリカと日本が、激突したことによって終焉させられました。
けれども、「20世紀初頭に新たに世界に蒔かれた種」はまだアジアでは根絶されてはおりません。今、極東アジアで、それを叩きのめそうと必死になって戦っているのは、かつてその恐ろしさを真剣に意識していた「帝国憲法下の日本」ではなく、「戦前の日本の意志」を現代日本になり代わって受け継いだ、「半世紀前の日本の敵」であり、「現在の日本の盟友たるアメリカ」なのです。
現在起こっている事態は、かつてのような「人種対決」ではなく「思想対決」における後半部なのです。「もはやわれわれの敵は人種(白人)ではない」にもかかわらず、日本国内では「世界情勢が戦前とまったく変わってしまっている」ということを少しも理解しようとしない人々が、奇妙な言論活動を行い続けているのが、私には不思議でなりませんが、とはいえ、現在にいたるまで日本を含め極東地域における左翼陣営の反米宣伝には激烈なものがありましたから、人々の世界感覚、世界の眺め方がそのような妄想的発想から容易に抜け出られないのは、ある意味仕方のないことかもしれません。またこれは人々が「地上の富の奪い合いと分配問題」という話題にしか関心を示せなくなってしまったという「もうひとつの隠れた近代精神問題」、人類の唯物論者ぶりが影を落としている問題でもあります。彼らは皆、それを語ることで「自分は道徳問題について語っているんだ」と錯覚しています。これもまた解決されなければならない世界問題ですが、さしあたってここでは話題に採り上げることはいたしません。
いずれ極東地域からも「ヨーロッパ産の全体主義思想を信奉する国家群」は消え去らざるをえなくなります。この点では「世界は後戻りすることはできない」という認識は、皆様とも共有できる認識でありましょう。
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戦前、先頭を走っていたのがヨーロッパ人による帝国主義国家群で、これは、外地に植民地を持ち、 現地人を2等市民扱いしながら利益を収奪することで本家を栄えさせるシステムだった。ヨーロッパ人たちはまさしく自分たちの信奉してきた世界観こそが1度目の世界大戦をひき起こした原因だったことについて自覚できず、依然として第1次大戦以前の世界システムに拘泥し続けた。
今となっては、世界のどんな民主化された国家に住む住人にも共感できない感情だろうが、20世紀の前半まで----あなたには信じがたいことだろうが、たったの半世紀前である。大戦後、世界の近代国家の住人たちの国家意識はなんと変容してしまったことだろう。いまだ多くの人々が「そのこと」をしっかりと意識化できていない状況が今も続いているけれども、これはとんでもなく驚くべき「あの戦争の結果」なのだ----、各民族国家の成員は他民族の国家を戦争によって打ち負かすこと、そしてその結果、他民族の領土を戦争によって奪い取ることに狂気乱舞していた時代があるのである。
明治維新による日本の近代化以降少し時代をおいて日本の庶民もその当時のヨーロッパの庶民と同じ感情を共有するようになっていた。もしあなたが当時日本人として生きていたなら、あなたもその感情に抗えなかったかもしれないと一度じっくり考えてみるべ きである。「あなたが聖人君子であったはずなどまったくない」のである。
中世の時代精神から変容を遂げた近代ヨーロッパ人たちが、まったく自己の精神の有り様を互いに省みようとしなかったことが、2度目の世界大戦の土俵を用意することになったのである。ヨーロッパ人たちは最初の世界大戦であれほどの悲惨を経験しながらその精神態度を改めようとはしなかった。これはある意味でと りわけて才能のあるわけではないヨーロッパの諸国家内に住む市井の人々までが自己意識の目覚めを体験し始めた副作用だった。
ヨーロッパの人々は突然、自分たちは民族集団として「国家の一員」であり、自分たち民族が「国家の名」のもとに他国民・他民族に対して威勢を張ることは推奨されるべき振る舞いであると思 うようになったのである。近代に至ってヨーロッパの諸国民の「国家意識」は至高の価値となったのである。
ナチスを典型とするような民族の紐帯を強調する政治集団が生まれた。しかしそれはドイツに限らず、近代の前半に「近代国家による戦争」に明け暮れたヨーロッパ人たちが国民・民族の垣根を越えて共有するようになった、いわば「前期-近代人」独特の精神状態だったのである。彼らは互いに敵対し合いながら、その思考態度だけは「共有」し合ったのである。そしてこれは「近代的思惟の産物」でもあった。嘘だと思う なら、資料にあたって調べてみるといい。かつての王家の戦争は、決して民族・国家の名をかけた「国民同士の戦争」ではなかったということが分かるはずである。第1次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領が民族自決主義を唱え、その議論はおおいに世界の諸国民に受け入れられた。しかしそうなるためには、近代に至って変容した人類の「新しい自我感情」の下支えが必要だったのである。
彼らがはてしなく「民族の価値」を言い募ったのは、実は彼らが「前期-近代人」に到達していたあかしなので ある。けれども彼らは自分たちが「伝統の子」だと錯覚している。そうではないのである。その感情は彼ら自身の「近代的精神作用の結果」なのである。だからそのような彼らが古代の精神、あるいは伝統意識を継承しているなどと思い込むとすれば、それはまったくの錯覚に基づいている。実際には彼らの政治的振る舞いは、長い人類の精神の発展変容史上において眺め直してみれば、「比較的最近になって獲得された近代思考」に基づいているにすぎないのだから。
結局2度目の世界大戦は起こるべくして起きなければならなかったのである。ヨーロッパ人たちの「改まらない精神生活こそ」がその戦いを招き寄せたのである。そして到来したその戦いこそがそれまでのヨーロッパ人たちの高慢をへし折ったが、これはヨーロッパ人だけでは達成できることではなかったのである。ヨーロッパ人はすでに自浄能力を失っていたからである。ヨーロッパ人は「近代出現以来の彼らの精神生活のツケ」を外部発注によって乗り切ろうとしたのだった。それが第2次世界大戦が持っている別の側面である。つまり自分たちが世界に持ち込んだ近代初発以来の世界観と世界支配体制を打破するためには、日本とアメリカが「彼らの用意した土俵」に上がって互いに喧嘩して、それまでの世界秩序を崩壊させてくれる必要があったのである。
あの大戦によって、近代社会の黎明期のなかから出現した「植民地経済=帝国主義経済」は自分自身の罪によって自己崩壊したが、一方で19世紀のある時期にひそかに、もうひとつの「他国の領土を独特の唯物論精神で染め上げたい」という、これまた別種の「領土と人民支配の野望」をもった勢力が「ヨーロッパ人の思考態度」の中から出現した。この理念はまたたくまに世界中に拡散した。
彼ら共産主義者たちは2度の大戦争によって、「古いタイプの帝国主義国家群」がまさしく「帝国主義がはらむ自己矛盾」によって自己崩壊したことを「世界中の目」から隠したのだ。この事実こそがいまだ認知されざる世界史の秘密なのである。
「おのれの支配権を世界に拡張する野望を持つ国家」を「帝国主義国家」と呼ぶならば、「みずからを世界全体に拡張し支配したいという野望」を持っていた共産主義者たちはまぎれもなく、「もうひとつの新しい帝国主義者の群れ」に違いなかった。古いタイプの帝国主義者たちは「地上の富の収奪」が目的だったが、これは見えやすいし行動も理解しやすい。しかし共産主義者という新しいタイ プの帝国主義者たちが支配したかったのは、「地上の富」ではなく「人間の精神生活」だった。そしてそうであったればこそ、本当は何が起きているのか国民にはその実態がにわかには理解できないまま現代にいたっているのである。
だからこそ「帝国主義打倒」という「インチキなスローガン」は、前世紀以来、人間社会の内部でもっとも現実感覚を失っていたインテリ層に巨大な影響力を行使することができたのである。左翼人が繰り出すさまざまなスローガンは、そのような知的な現代人の混乱した抽象観念に火をつけるための発火剤のようなものだった。「詐欺師」のことを英語でマッチスティックメン(matchstick men)というが、まさしく彼らは「政治的な詐欺師集団」だったのである。
彼らは、悪党が他人から悪党よばわりされる前に、指さす者たちを悪党集団にしたてあげて逆に責め立てるような----現代の北朝鮮の支配層の脳髄反応は、特に分かりやすいその典型である----運動にいそしんできた。それが「古い戦前の帝国主義国家群」の「大崩壊後の世界」で演じられてきた茶番劇である。彼らは「すでに崩壊して存在しないモノ」をあたかも存在するかのように学問的体裁まで用いた詐術によって世界の住人たちをだまし続けてきたのである。なぜなら、その真実が世間に知れたら、彼らは、学者として、また政党人として、今後も引き続き人々の間で「アメリカ帝国主義打倒」を言いつのることは、もはや不可能になってしまうからである。彼らは自分の今の立場を守るためにも今後も嘘をつき続けなければならない。
世界の統治問題に関して、いまなお多くの人が「世界は昔からずっと国家間の金の奪い合いで戦争しあっている」というような陰謀論を聞かされるのを好んでいる。しかしそのような妄想こそがまずインテリの脳内から払拭されない限り、世界が精神的に現実的な前進を果たすことはできないであろう。なぜなら本当は帝国主義は終わっているのだから。
(注)かつてBBSで公開した拙文を改訂再掲示させていただきました。