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操練会議

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前期-近代意識通過中の極東国家群と比べる愚

日本の小学生は中国や韓国の小学生よりも「学ぶ意欲」が低い――。財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長、東京都新宿区)の調査で、学習を巡る子供の意識に日中韓で大きな差があることが分かった。近年、日本の子供たちの学力低下が取りざたされているが、中韓両国に比べ「学力」以前の「意欲」の低さが浮き彫りになった形だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070307-00000099-mai-soci

上記引用は最近、ネットに載った極東3国の小学生の意識調査だ。

前世紀の80年代になってやっと民主化した国、そしていまだに「言論の自由」も「国民の国会」も持たない国家に生きる小学生と日本の小学生とを比べて、「国力や国民の民主化意識の土台などを比較して、3国ともに成熟した対等とも呼べる、世界の先進諸国群の国民と同等の近代意識上の土台を持ち、したがってこの極東の3国は無条件で意識比較調査ができる」などと、なぜ「日本の利口な人々」は平気で「思い込める」のか。いや実際には彼らはそもそも「そんなことさえ意識したことがない」のだろう。ではいったいそれは「何のための対照比較調査」なのか。

このようなアンケートばかり行っている彼らは「本当に利口な人々」なのか。彼らがこういうアンケート調査ばかり行っているという「彼ら自身の振る舞いの結果」から見えてくる一番の憂慮すべき問題は、日本の小学生の意識ではなく、「アンケート調査をやって発表したがる彼らの意識のあり方」のほうなのではないか。

いったいなぜ、この種のタイプの「日本の利口な人々」は(しかも教育関係の仕事に携わっている人々は)、このような決して「国民の政治意識や国家意識が〈先進諸国並みの穏当さと成熟〉に達していない、2等あるいは3等国家」を、日本との「対照サンプル」として、あるいは「同等な近代国民精神生活の所有者の住む国民として」選ぶことができると思えるのか。教育問題なんぞは特に、「国民の精神生活問題」と直結している。近代社会は、「国民の統治のされ方」が子どもの教育環境に絶大な影響力を行使しているのだ。その国家が自由で開かれた、それぞれの国家間に歴史的に横たわる互いのスネの傷についてのあれこれに対して「それを言っちゃあおしまいよ」ということ理解しているサバけた国民による統治を受けている近代国家----二度の「対国民世界戦争」という失敗を経て欧米・日本みなそういう意識状態に達した国家群となったのだ。だからこそ彼らは過去のイシューではなく今起きているイシューにこそ関心と政治力を行使することに全力を注ぐのである。あとのマラソンの比喩でも登場してくるように彼ら「第1グループ」の仲間意識に達していない途上国家群の中には「精神的な幼さ」ゆえに「その区別をつける」ことができない国家が多数存在するのである----なのかどうかは、子どもへの歴史教育事情にも強い影響を与える。彼らはそもそも「一体何のためにそんな3国間の意識調査をしているのか」、これがよく分からない。

彼らはもしソ連が健在だったら、ソ連の小学生とも比べるに違いない。欧米の諸国家群に生きる人々は、高校生の学力調査では3位内にも入ったことがないのを、「憂慮すべき大変なこと」と思わない、それどころか「真剣な話題にもしない」のはなぜかと

「なぜ日本の利口な人々」は考えることがない

のか。「それ」が「問題」である。2等3等の、はなはだ世界的に信用のない国家群の統治下に生きている子供たちが上位3位内に入っているのに日本はそうなっていないことを、「日本の勉強馬鹿たち」だけが、教育問題についてそのような「統計」を持ち出し、意味もなく騒ぐのである。

だがまさにこのような人々こそが日本の教育体制を腐らせてきたのだ。「何が大事かが一向につかめない人々」に日本の教育界が牛耳られてきた結果である。

日本は極東の「勉強馬鹿国家群」から決然と決別し、「たえず〈どこかの何か〉と〈おのれの何か〉を比較して、あれこれ悩まずにはおれない性癖」を克服しなければならない。それこそが「新しい脱亜論」である。

(補足)「前期-近代意識」というのは私の造語である。現代社会には「国民精神の成長史」などというような学問は存在しない。「前期近代」とは、それまで身分制度のもとで暮らしてきた人々が「対等な意識」を所有するようになった時代、すなわち近代の初期の「国民意識発生時」の意識状態のことである。戦争を専門に請け負う「戦士の階級」の消滅と身分制社会の消滅は連動している。近代の戦争がこれほど大規模に、かつ悲惨な結果を招いたのは、自然科学の発展による兵器の革新の結果だけではなく、「国民意識の誕生」が、「兵隊の大規模な動員」を可能にした結果である。2度の世界大戦はそのように「近代に生まれた国民意識の結果」でもあるのだ。そして世界にそのような悲惨をもたらした真の原因者たちであった西欧人たちは、その「近代前期の意識状態」を克服し、新たな近代意識を創造しようとしている最中である。身分制度下の国民は、直接国家による兵隊動員を行うことはなかった。「戦争」は「中世まで」はある意味「聖なる行為」でもあったからである。下賤な者は騎士になることはできず、武士になることもできなかった。それが「新時代」へと変異し、その初期「その国民意識(前期-近代意識)の誕生」こそが、初期時代の西欧近代史に顕著に見られるように「国民(民族)国家同士による」絶えざる戦争を招いたのである。その仕上げが2度の世界大戦だった。

戦後になって近代史に登場することになった新しい国家群、発展途上国家群のなかには、そのような、戦前までの近代社会において、西欧人や、当時極東では唯一「そのような近代国民感情」を西欧人たちと共有することになった日本人が獲得した「新しい意識」----だからこそ日本は欧米人と戦争することを可能にする「精神的能力」を持ったのである----をいまようやく獲得しつつある第2グループ、第3グループが存在するのである。

欧米諸国と日本は、その初発の第1グループに属していた。それはちょうどマラソン・レースで、グループ集団がいくつかの団子状に分かれて走っているようなものである。マラソン・ランナーの集団が走るのはアスファルトの路面という「物質」だが、「近代国民精神」という「目に見えないもの」を得た集団が、あとからいくつかの集団に分かれて、すでに第1グループが通りすぎた「精神状態」をあとなぞりするのである。

もし「国民の精神生活」において問題行動を起こしがちな国民を見つけたなら、「このような観点」から、彼らの精神発達史の結果として彼らの行動を解釈してみるべきである。「それを言っちゃあおしまいよ」感覚を持っているのは何も寅さんだけではない。戦後、近代意識生活を再開した欧米諸国も日本もそのようなマナーをもって「大人として」戦後世界で振る舞って生きてきたのである。「思春期時代」のような----それこそが戦前の欧米諸国と日本の陥っていた意識状態だったが----感情を持って振る舞わずにはおれない発展途上国家群が極東にも存在する。思春期の子供を持つ親が、この厄介な一時期を生きている子供たちに手を焼かされてきたように、現代の世界諸国家間の「関係性」もそれになぞらえて眺めることが可能である。

極東の諸国家群の「国民精神の達成地点」は「けっして同一水準ではない」ということが分からない人々(大人)が日本には多数いることが問題なだけである。日露戦争終了時における「国民意識の爆発」、たとえば日比谷焼き討ち事件などを思い描いていただきたい。極東の「思春期国家群」は、日本が100年前に到達した「精神の発展途上中に味わう国民感情」に、いまようやっと達しただけの話である。日本と欧米は「手さぐり状態」で、「その場所」を通過したので、「世界大戦という悲惨な失敗」を甘受しなければならなかったが、現在の発展途上国家群が「真の自己意識」(克己感情)をもてるほどに成熟すれば、また極東アジアの諸国民の精神発達史も書き換えの時がやってくるだろう。それが今生きているわれわれが死ぬまでに起きるかどうか、それは分からない。親あるいは大人は子の成長を待つ。馬鹿な振る舞いをする青少年はしかるべき権威で「正しい理路と感情を携えて」たしなめる責任が親や大人の側にはあるだろう。現在の大人にもかつて子ども時代があり思春期がありそして、その時期に仲間同士の暴力にまみれ、苦い失敗を犯した。「屁理屈ばかり並べて親の世代を攻撃する時期」にまで「成長できた子ども」も、いつか「自分の馬鹿さ」を知る、そうして初めて親たちとも敬意をもって話ができる状態に「移行」できるのである。親が持つべき意識と振る舞いは、そういう時期に達した青少年たちに対する「忍耐」と「正しい指導」である。「正しい理路と感情」も持たずに、「意味もなく厄介な青少年に迎合する」のは「正しい青少年への対処」ではないということは、戦後の日本の青少年への教育問題においても、日本の大人たちが直面させられてきた問題ではなかったのか。

関連記事 大東亜戦争とは何だったのか
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