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このblogは、HP「物部守屋の末裔 勝海舟の研究」の付設ページとして設けられました。
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お金とは何か

もうずいぶん前のことだが、しかし、中年になってからのことだったことも確かだが、ある時ふと「お金って何?」ということに興味がわき、市内の大きな古書店に行き、経済関係の教科書はないかと物色していたら、たまたま大学の講義で使用されたらしいマルクス主義系の教科書があり、その扉のページに書いてあった著者の言葉にどぎもを抜かれたことがある。曰く、

「貨幣とは何か、いろいろ意見があって実はよく分からない」

マルクス主義系の講義を行っていた大学の教授が、そのように本論に入る前に軽いエッセイ風に教科書の扉のページに書いていたのだった。

私は中年以降になって、初めて「お金とは何か」について考えようと思った。たぶん「お金ならものごころのつく頃からずっと日々直接接して生きてきたし、だから、〈その使い方〉はよく分かっている」と勝手に思い込んで満足していたからだろう。だけれども、それは金銭と商品の交換ルールに慣れていただけの話である。現代の多くの人が私と似たような感覚ではないかと思う。

私は、義務教育期間においても、高校の政治経済の時間においても、一度も教師の口からお金とは何かについて習ったことはなかったし、教科書の中にも「お金とは何か」という基礎中の基礎について、記述してあったなどというような記憶はない。そしていまなお、小学中学高校の教科書には出て来ない記述である。

「お金を得たかったら、働け」裏返して「働けば、お金が手に入る」

多くの人がお金に関しては「この説明」で満足しているのではなかろうか。しかしまさにこのような発想こそがいまなお多くの人びとが無意識にもそうだと思っている「労働価値説」を下から支えているのだ。なかでも公務員(小学・中学・高校・大学の教師も含む)がいけない。

文部科学省の役人たちは、義務教育下の児童生徒たちに「お金とは何か」についてちゃんと教えるように、教科書作成会社に「指導」することもない。なぜなら、役人、公務員として働いている人たちこそが、もっとも「労働価値説」的な発想で生活しているからである。彼らは「働いたらお金がもらえる」と考えている。しかし正確には「一般の国民が価値の生産活動によって生じた価値(それは物質世界では貨幣という象徴によって可視化されている)を分けてくれている」だけなのだ。

公務員の活動は「市場価値」を生まないので、それを「直接、市場の経済活動上の交換ルール」によって交換しているわけではない。「価値は市場で出会うことによって生まれる。その、市場で交換される際に生じる価値が視覚化(象徴化)されたもの(貨幣)」が直接市場活動に参加できない彼らのような人びとの「労働」に対して分け与えられているだけなのだ。

国民が自らの「生産活動」で生み出した価値をほんの少しずつ取り分けることによって、つまり国民が国家や地方公共団体に寄進した余剰金によって生活費を得ているのが公務員たちである。この中には偉い大学の教授も含まれている。

そしてそのことをよく飲み込めていない学者と呼ばれる人びとが、自分の研究分野とは違う政治・経済問題に対した場合に、「彼らが無意識に寄り掛かっているマルクス系の労働価値説----「労働は尊い」という意味ではありませんよ。経済学用語ですから----彼らの道義心(道徳心)を下支えする」のである。なまじ国民から学者ということで尊敬されているがゆえに、ことはますます厄介なことになる。

だからこそ----つまり「そのような勘違いをしている偉い学者先生たち(文学者だとか社会学者だとかいろいろいるけれども)」を世間に生みださないように----、「お金とは何か」ということを、義務教育活動のなかで、その大まかな概要を子どもに分かる範囲でちゃんと伝えておくべきなのだ。

定義の細部の問題であれこれ悩むのは----最初に紹介したマルクス学者がその例だが、最近では竹中平蔵氏も自分の著書の中で「いろいろあって」と、定義構築にふりまわされてばかりいる「学者の陥穽」に陥って書いていた----専門の経済学者にやってもらえばいいが、しかし、一番大まかな見取り図を、これから社会に出て、いやおうなく生産活動に参加していかなければならない児童生徒たちに示しておくことは、非常に大事なことである。

そうすれば、私のように、中年になるまで、あるいは一生死ぬまで、「お金とは何か、人びとの前に可視化されて利用に供されている貨幣が内包している価値はどのように生じてくるのか」を、「今日のような義務教育制度のもとで、にもかかわらず少しも知らされないまま過ごす人びと」はずっと減るだろう。

国民が「この問題」について「学校で説明を一度も聞いたことがない」という事実は、歴史教科書問題以上にゆゆしき問題なのだ。いまなお労働価値説が国民の無意識から消えないゆえんである。


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